元顕正会員の体験談

法華講で知った本当の仏法の深さと功徳 今思う、浅井昭衛の話はまるで〝お遊び〟

木戸 克巳さん

零落の中で出会ってしまった顕正会
一時の魔の通力で心酔するまでに

私は昭和二十三年生まれで、物心がつく頃には祖父母と母が創価学会員として日蓮正宗に入信しており、私も御授戒を受けておりました。

成人してからは化粧品のセールスマンとして働き、家庭も持ちました。当時は高度経済成長の波に乗って仕事も順調で、学会の中ではブロック長として活動しておりました。

ところが、学会が日蓮正宗から破門される平成三年の数年前から、私の仕事は左回りになり、ほぼ同時期に母が脳出血で倒れたことも相まって、家庭内がギクシャクしてきました。
その母は平成三年に亡くなり、葬儀は学会葬で出してしまいました。

遺体となった母の相は真っ黒で、これに疑問を感じた私は、信仰自体を疑いだし、御本尊様を最寄りの正宗寺院に返納してしまいました。

その頃、バブル経済が崩壊し、五千万円もの借金を抱えることになってしまった私は、仕事を止め、家も失い、家庭内の不和は修復できず、離婚してしまいました。

何もかも失った私は、その後、日雇いで警備の仕事をしながらギャンブルに打ち込み、宗教とは無関係に生きていました。

ところが十二年ほど前、脱腸とネフローゼを患(わずら)って仕事ができなくなり、ある民間施設に入所することになりました。その〝施設〟とは、いわゆる貧困ビジネスの施設(住む所を失った貧困層を入居させ、生活保護費の大半を取るような施設)で、規則・制限が厳しい上にサービスは悪く、いつも「早くここを出たい」と思っていました。

そのような中の令和元年、顕正会員の婦人が入所してきて、「お願いだから、顕正会に入って」と懇願され、つきあいで顕正会に入ってしまったのです。

当時は、顕正会が日蓮正宗から追放された異流義集団などとは知りませんから、顕正会本部に行って本尊を拝んだ時は、学会時代に勤行していたことを思い出し、「懐かしい」と思ってしまいました。そして、顕正会の話を聞いたりしているうちに、初めて、創価学会が日蓮正宗から破門になったことや、正本堂が解体されたことなどを知ったのです。

そして、顕正会から流される指導や情報を鵜呑みにして、「浅井センセーは、宗門を諫暁(かんぎょう)して、すごい人だ。学会も宗門もダメだ」と思い込んでいきました。
その後、何年も「施設を出たい」とケースワーカーに申し入れても許可されなかったのに、急に話が進み、施設を出ることができました。

今にして思えば、これは、邪宗教にありがちな、一時的な魔の通力だったのかもしれませんが、私は「功徳だ」と思ってしまい、このことを機に顕正会の活動を一所懸命にするようになっていきました。
毎週日曜日には本部に行き、会合に参加し、午後からはチラシのポスティングや駅前での街頭配布、そして友人を顕正会に勧誘していきました。

街頭で声をかけてきた法華講員
対話を重ねて見えてきた真実

そして二年前、駅前でいつものように街頭配布していると、法華講員の石塚さんという女性から声を掛けられたことがキッカケで、幾度も話をすることになりました。
当時の私は顕正会が正しいと信じきっていたので、顕正会を破折する『慧妙』の記事を見せられたものの、見ぬふりをし、「宗門は嫌いだ」と言い、「もし顕正会を止めても、宗門には戻らない」などと言っていました。

顕正会が破折されると怒りが込み上げてきて、席を立ったり、「正本堂問題について、猊下が謝(あやま)ったら宗門に戻る」などと、何度も宗門や猊下様を誹謗(ひぼう)してしまいました。

しかし、その一方で、顕正会に対しても疑問や不満を感じており、石塚さんと何度も会っているうちに、ついつい、その本音も漏らすようになっていきました。

一つ目は、顕正会の幹部は若い人ばかりですが、浅井と一緒に信仰してきたはずの妙信講(みょうしんこう)時代の信者がほとんどいないのは、なぜか、

二つ目は、顕正会では、現実に脱会して法華講員になっている人がたくさんいるのに、内部には「顕正会をやめた人は全員、活動していなかった人達だ」と言って、あたかも実質的な脱会者などいないように装っているのはおかしい、

三つ目は、顕正会は、「宗門側の人から渡されたチラシや新聞は、絶対に読まないで提出するように」と指示していましたが、私が法華講員と会っていることを知ると、「これ以上、宗門側の人と会って話をするなら、顕正会の会員としては活動しないように」と言われたこと。私は、法華講員を折伏するつもりで石塚さんと会っていたのに、なぜだ?

さらに「変だ、おかしい」と思ったのは、顕正会の昔の書籍を見れば、十年前の男子部大会で「二〇二〇年までに三百万を達成する」と誓願目標を立てていたのに、実際に二〇二〇年にできたのは二百万(※顕正会発表)だった。それなのに、十年前の誓願はなかったことのように、知らん顔をしている。今の新しい信者が何も知らないからいいのか?

ということでした。
こうした疑問は疑問として、それでも浅井会長や顕正会自体を疑っておらず、石塚さんを折伏しているつもりの私でしたが、そのような中の昨年三月、空き巣に入られ、アパートの更新費用を盗まれてしまったのです。いろいろ動いたのですが、全て裏目に出て八方塞(ふさ)がりになってしまいました。

私は、アパートを追い出されて施設に戻るくらいなら、ホームレスになるほうがマシだ、と思いました。そして、顕正会の先輩幹部に事情を話したところ、その幹部は、なんと、信仰の功徳で解決をはかろうというのではなく、アパートを追い出されることを前提とした話をしてきたのです。私は、幹部がこんな指導でよいのか、とショックを受けました。

そして、その時、「このタイミングで泥棒に入られたのは、間違った教えを信仰してきた罰だ」と思い、石塚さんに連絡をして顕正会を抜けることを伝え、無事に勧誡を受けることができたのです。この時、なぜか私は、「もう本部に行かなくて済む」とホッとしていました。

勧誡を受けた直後から功徳の実証が!
正邪を分かつ法華講と顕正会の在り方

さて、勧誡を受けさせていただいた功徳は絶大で、不動産屋さんが更新料の支払いを待ってくれることになったり、役所が支援物資を出してくれたりして、そのままアパートに住み続けることができるようになりました。

また、五月には、突然、不整脈が起こって救急病院に入院したのですが、ドクターからは「高カリウム血症の状態で、もう少し遅かったら心停止だった」と言われました。間一髪のところで命拾いしたのです。

石塚さんから、「知らなかったとはいえ、異流義で謗法を犯した罪は重大で、その罪障を消すためにも、精いっぱい正信正行の仏道修行に励まねばならない」と話していただき、心から納得しました。

八月には三十五年ぶりに大石寺に登山をしました。まだまだ体調は完璧(かんぺき)ではなかったのですが、総本山で過ごしていると頭がスッキリして身体も軽く、気持ちが良く、「登山して本当に良かった」と思いました。顕正会にいたら、絶対に味わえなかった境地ですし、創価学会時代にもさんざん登山しましたが、こんな気持ちは初めて感じました。

また、帰伏して初めて、法華講の勉強会に参加してビックリしました。なんと、会場内からの質問を受けていたのです。浅井は、質問会など絶対にしません。ヘタなことを聞かれたら困るし、わからなくても盲信しろ、ということだったのでしょう。

会合での講員の体験発表や確信発表も、発表者は自然体で、話が素直に腹に入り、心に残ります。顕正会は、幹部が原稿を書き、全ての会合の締めくくりに、
「さればこれから頂く浅井先生の指導を心肝に染め、折伏に全力を尽くす決意であります」
と、若者が使わない定型文とパフォーマンスで会員を煽(あお)るのです。

また、教学の面でも、法華講では、顕正会では聞いたことがない御金言ばかりで、仏法の広さ、深さ、厳しさを痛感しました。
それに比して、浅井の言うことは、言葉は違っても言っていることはいつも同じ、ワンパターンだった、と気づき、顕正会のやっていることはお遊びだ、と思いました。

話は変わりますが、帰伏してから、自分が関わってきた人を折伏したいと思い、かつての知り合いの学会員や顕正会員、最近知り合った旧統一教会の会員などを、石塚さんに手伝ってもらいながら折伏しました。すると、今までに経験したことがないことが次々に起こってきました。

私は若い時からのヘビースモーカーで、何度も禁煙しようとしましたが、やめられず、諦(あきら)めていました。ところが、ある日突然、タバコを吸いたい気持ちが全然なくなったのです。

健康面では、現在、月一回、定期検診を受けていますが、血圧も安定し、とくに問題もなく過ごしております。
また、精神面ですが、私は元来、不安性というか、何か困ったことが起こると右往左往して落ち着きを無くしていたのですが、今は、何があっても冷静でいられ、不安に駆られなくなりました。これを「心の財(たから)」というのでしょうか。

これからは、今まで関わってきた人達に、日蓮大聖人様のお話をしていきたいと思います。そして、大御本尊様を死ぬまで離さないでいきたいと思います。
あと何年動けるか分かりませんが、正法正師のもと、先輩方と共に仏道修行に励み、罪障消滅していく決意です。

(『慧妙』令和5年3月16日号より転載)