顕正会の狂気の実態
私は、昭和五十六年、中学時代の同級生に誘われ、顕正会の前身である元妙信講に入ってしまいました。今から考えると、顕正会は、日蓮正宗の教義を勝手にネジ曲げた、間違いだらけの教えなのですが、初めて聞いた私には、たいへん素晴らしい内容に思えてしまったのです。誘われるまま会合にも参加し、勧誘活動に没頭するのに、そう時間はかかりませんでした。
私は、浅井会長を唯一無二の師匠と崇め、どんどん活動にのめり込んで、活動を優先するために高校も中退し、平成九年頃には、実家のある埼玉県から、顕正会員が増えた新潟県にわざわざ転住するなど、とにかくメチャクチャでした。
当時付き合っていた彼女は、そんな私を見て宗教自体に反発し、口論が絶えず、あげく、精神的に追い詰められて自殺を図ってしまいました。幸い、彼女の自殺は未遂で済んだのですが、夜遅くアパートに戻ると、部屋には遺書があり、大量の睡眠薬を飲んで横たわる彼女の姿がありました。直ちに救急車を呼んだものの、こんな事態に遭遇したことのない私はパニックに陥りました。彼女は、命こそ助かったものの、ダメージは大きく、面会謝絶の状態が続きました。
そして、「この女性と暮らしていたら、また同じような騒ぎを起こされる」と思った私は、あろうことか、彼女の荷物を彼女の実家に送り返した上、私自身もそのアパートから引っ越してしまったのです。
今にして思えば、よくもそんな非情な仕打ちができたものだと、当時の自分の非人間ぶりが恐ろしくなりますが、とにかく、〝顕正会の活動の足を引っ張る要素は、全て邪悪な魔の働きだ〟と思っていたので、この時も、情において忍びがたいところはあったものの、女性よりも顕正会を選択し、〝魔に一つ、打ち勝った〟と、優越感すら感じていたのです。
このような私の狂った姿勢は仕事面にも表われていて、小林家の長男である私は、本来であれば家業のアルミ加工業を継ぐこともできたのですが、重要な仕事は弟に任せ、〝仏弟子たる者、仕事なんぞは片手間にやるのが、むしろ理想的だ!〟くらいに考えて、そういう自分に誇りすら抱いていたのです。
こうした世間法を軽んずる価値観というのは、じつは多くの顕正会員に共通するものであり、まさに血脈否定の謗法を犯したための、頭破七分の現証そのものでした。
平成十五年頃には、両親の迷惑も顧みることなく、実家を顕正会の〝自宅拠点〟とし、会員には、「あらかじめ連絡さえくれれば、年中無休。二十四時間OK!」と、自宅の使用を呼びかけていました。この文章を書きながらも、〝完全に狂っていたな〟と、当時の自分にゾッとします。
「浅井会長に、してやられた!」
そして、この狂った活動の終わりは、予想もしない展開で訪れました。平成十九年頃、私の班員の一人が、妙観講の人に折伏されて日蓮正宗に入信し、妙観講の人と一緒に、私の班員達にも接触してきたのです。
私は、怒りで頭に血がのぼりましたが、一方で、〝妙観講〟がどういう団体なのか、わからないことに不安を覚えました。「もし、妙観講員が自分の所に来たら、どう対応すればよいのか」と思ったのです。
顕正会では、顕正会批判を目にさせないために、インターネットの閲覧を禁止していますが、妙観講と対峙(たいじ)する必要に迫られた私は、居ても立ってもいられない気持ちで、「破折の材料を探すのが目的であれば、許されるだろう」と自分を納得させ、インターネットで〝妙観講〟や〝反・顕正会〟について調べていきました。すると、その結果は、多くの元顕正会員が現在は法華講員になったのと、同じ道をたどることとなりました。
と言いますのも、元顕正会員だった人のネットサイトでは、過去の浅井昭衛(顕正会会長)の発言を時系列で追い、その矛盾や誤りを全て明らかにしていましたし、それ以外の顕正会破折も全てが納得がいくものであり、私は、客観的な証拠の前に、顕正会の誤りを認めざるをえなくなってしまったのです。
自分が人生をかけて活動してきた顕正会は間違っていて、会長の浅井はウソを教える狂人だった……それに気づかされた私は、「浅井に、してやられた!」と、怒りと共に後悔の念が込み上げてきました。そして、気付いた時には、妙観講に電話をしていました。その際に対応してくれたNさんに、時をあらためて折伏され、私は日蓮正宗に入信することができたのです。
恐ろしき顕正会の害毒
しかし、今まで謗法の顕正会に在籍し、日蓮正宗をさんざん誹謗して、重い罪障を積んだ私が、正法に帰依できたからといって、その罪が直ちに消えて無くなるわけではありません。顕正会時代の洗脳による弊害と罪障が、次々に果報となって襲いかかってきました。
精神的にふさぎ込み、ふとしたことで「自殺したい」という欲求にかられ、工場での作業中に「この工作機械で拳銃が造れないかな。そうすれば楽に死ねるのに」などと思ってしまうほど、精神的に病んでしまったのです。
顕正会に人生を捧げてきたために、その頃の私には何も残っていませんでした。顕正会での無謀な勧誘や活動が影響して、友達もいなければ、仕事上の成果も評価もない、そして何よりも、その状態から這い上がろうとする気力が全くないのです。人混みに行くと、顕正会の会合を思い出してイヤな気持ちになるため、混雑する所には行きたくなく、講中の会合にも参加しませんでした。
こうした精神状態は、七年間続きました。邪教顕正会を信仰した罰で、本当に苦しむことになったのです。そのような空虚な時間が過ぎる中、諦めずに通ってきてくれたのが、私の担当班長であるHさんでした。元顕正会員だったHさんが話してくれた、「自分も、顕正会の罪障でひどい引きこもりになったけれども、正しい信仰をしてくる中、社会復帰できた」という体験は、本当に心の支えになりました。
溢れ出てきた功徳の実証
そして、意を決して、誘われるまま講中の勉強会に参加しました。そこで話される、本当の信心の在り方に感激し、さらに、その直後に行なわれた「支部総登山並びに総会」に頑張って参加したところ、素晴らしい体験発表を聞き、今まで味わったことのないような感動を覚えました。そして、「こんなに素晴らしい仏法を、自分も真剣に行じさせていただこう」と決意したとたん、不思議と生命力が溢れてくるのを感じたのです。
その後は、会合にも積極的に参加できるようになり、毎日、朝晩の勤行に加えて一時間以上の唱題をして罪障消滅を祈ると共に、折伏も実践して毎月入信者を出していくうちに、精神的な症状がどんどん良くなっていきました。
今では、一緒に信心できる眷属が何人もできて、御法主上人猊下様、御住職様に師弟相対する信心ができることが本当に有り難く、皆さんと共に楽しく信仰させていただいております。
生活面においては、高卒認定試験を受け、会社の理解のもとで夜間の大学に通いました。また、仕事も責任を持ってしっかりとできるようになったことで、会社から評価され、私のような者を会社の役員に登用してくれました。おかげで、収入面でも安定することができました。
かつては顕正会の害毒でボロボロになった私ですが、日蓮正宗の正しい信仰により数々の功徳をいただいたのですから、今後ますます仏祖三宝尊のお役に立てるよう、頑張ってまいります。