顕正会キョーガクブの連中は、ニセ本尊の議論になると、すぐに尻尾を巻いて遁走(とんそう)するのが、お決まりのパターンとなっている。
その遁走ぶりを見聞きした会員の不信感は募(つの)り、すでに多くの人々が脱会するに至っている。
つい最近では、キョーガクブ長の坪田も、法華講員がニセ本尊をテーマに掲げただけで法論から遁走してしまったというが、いったい、顕正会の誰なら、本尊について議論ができるのか。浅井昭衛か、それとも城衛か。
どちらでも構(かま)わないが、この上は、「ラスボス」として登場し、言い訳せずに大草講頭との一対一の法論に臨(のぞ)み、本尊問題について堂々と反論してはどうか。
それこそが、キョーガクブ委員のみならず、全顕正会員が待望していることである。
ともあれ、今回も、首脳陣(特に法務部の二人)からの反論など期待せず、末端会員に向けて、顕正会の本尊に対する破折を掲載する次第である。
解散・除名で御本尊の授与は停止に
死人に口なしで出してきた疑惑の本尊
日蓮大聖人は、『本因妙抄』に
「此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の稟承(ぼんじょう)唯授一人の血脈なり」(御書一六八四頁)
と仰せられ、また五十九世日亨上人は、『化儀抄註解』に
「曼荼羅書写・本尊授与の事は、宗門第一尊厳の化儀なり」
(富要集一巻一一二頁)
と仰せであるが、これらの御教示に則(のっと)り本宗では、御本尊の書写および授与の権能は時の御法主上人のみが持たれ、その御法主上人の許可によって、末寺の御住職が信徒に御本尊を授与されてきた。
また、第二祖日興上人が、『富士一跡門徒存知事』に
「御筆の本尊を以て形木(かたぎ)に彫(きざ)み、不信の輩に授与して軽賤する由(よし)諸方に其の聞こえ有り、所謂(いわゆる)日向・日頂・日春等なり。
日興の弟子分に於ては、(中略)一分信心の有る輩に、忝(かたじけな)くも書写し奉り之を授与する者なり」(御書一八七二頁)
と御示しのように、謗法者には御本尊を授与しないことを掟(おきて)としてきたのである。
しかるに、こうした厳格な定めを無視して現われた、正体不明の本尊がある。顕正会・浅井昭衛が持ち出してきた本尊である。
御承知のように、顕正会の前身たる妙信講は、昭和四十九年八月十二日に講中解散処分を受け、浅井自身も、同年十一月四日に信徒除名処分となっている。したがって、妙信講(顕正会)も浅井昭衛も、日蓮正宗から御本尊を授与される資格を失ったのである。
この決定に従って、当時、浅井らの所属していた妙縁寺の松本元住職(故人)も、妙信講員への御本尊下附を停止するところとなった。
そのことは浅井自身が、解散処分後の総幹部会で、
「解散させられても、末寺で御本尊を下げてくれなくても、折伏はできる。(中略)御本尊をお下げしないのは宗務院が悪い」(『顕正新聞』昭和四十九年十月二十五日号一面)
と発言していたことからも明らかである。
ところが、それから十一年後の昭和六十年になって、浅井は、顕正会には松本住職から下附された御形木本尊が数百幅ある、として、それにつき「解散処分が下された時」「(松本元住職に)願い出て」「御形木御本尊数百幅を私(浅井)に託(たく)して下さった」(『顕正新聞』昭和六十年三月十五日号)などと言い出した。
「御本尊を下げてくれなくなった」と言っていた同じ人間が、後年、「実は御本尊を数百幅も授与されていた」と言う。しかも、松本元住職が死去(昭和五十二年に死去)した後になって、言い出したのである。まさに死人に口無しで、これほど不正直で信用性に欠ける発言はない。
擯斥(ひんせき)となった元僧侶には授与する資格なし
出所不明の本尊が不正譲渡され複製された
また、浅井が「御本尊数百幅を託してくださった」という時期は、「松本住職が妙縁寺を退出する時」(『顕正新聞』平成元年六月二十五日号)であるというが、それは、松本元住職が日達上人の命に従わなかった咎(とが)によって住職罷免(ひめん)となり、本宗から擯斥(ひんせき)処分を受けた後のこと。つまり、住職でもなければ、本宗僧侶でもなくなった松本氏には、浅井らに御本尊を授与する資格などなくなった、その後のことである。
であれば、「授与する資格のない者が、謗法者に御本尊を渡した」ことになる。しかも数百幅としたら、それこそ前代未聞の謗法行為であり、大事の御本尊が大量に不法譲渡されていたことになるではないか。
世間で例えれば、本社から支店長の任を解かれ解雇(かいこ)された人物が、支店長面(づら)して支店の在庫品を勝手に横流しするようなもので、これは世法上でも許されない犯罪行為である。
その上、自宅拠点をはじめ、件(くだん)の形木本尊が安置された幹部宅の数は、その後も増え続け、とても「数百幅」などという数とは思えない。
つまり、現在、顕正会員の自宅拠点等に安置している日寛上人の形木本尊は、不正に横流しされた本尊を、さらに浅井が複製して増殖させたもの、と見るのが妥当であり、そのような本尊は、「無許可」「不法」「出所不明」のニセ本尊である、と断じる外ない。
かかるニセ本尊を礼拝しても、功徳どころか大きな罪障を積むことになるのは必定(ひつじょう)と知るべきであろう。
顕正会員には、本紙を読んだら今すぐにでも礼拝をやめるべきである。
形木本尊回収に必死になる顕正会幹部達
その奇怪な行動がニセ本尊たるを証明
顕正会の本尊が紛(まが)い物であることは、図らずも幹部らの奇怪な行動によってもわかる。
かつて自宅拠点だった元顕正会員の証言によれば、脱会を表明すると、真っ先に幹部らが自宅に押しかけ、罵声(ばせい)を浴びせながら、日寛上人の形木本尊を返却するまで絶対に帰ろうとしない、という。
中には、非常識な時間に押しかけ、後日来るよう促すと、なんと、その幹部が「御本尊を返さないと警察を呼ぶぞ」と放言したとの証言も(悩乱すると分別もつかなくなるらしい)。
なぜ、そこまでして必死に回収しようとするのか? それは言わずもがな、不正が発覚するのを恐れているからに他ならない。明らかな隠蔽(いんぺい)工作である。
しかし、よくよく考えれば奇妙な話である。「妙縁寺から下附された御本尊」を、何故、顕正会に返却しなければならないのか。御本尊を貸与しているのは日蓮正宗であり、本来ならば、下附された日蓮正宗寺院に返納するのが常識であろう。
加えて、浅井が「妙縁寺で下附された御本尊」である、と言い張るのであれば、コソコソと隠す必要もない。自ら「悪事を働いています」と言わんばかりの行動こそが、ニセ本尊たることの証明である。
日寛上人の形木本尊を安置する顕正会員諸氏には、「早く、速やかに」近くの日蓮正宗寺院に連絡し、御住職にその真贋(しんがん)を確認してもらうことを強くお勧めするものである。
謗法者・浅井昭衛に本尊授与の資格なし
無間の苦を軽減すべくニセ本尊を収納せよ
さて、信徒に授与される御本尊は一機一縁であり、願主一名に対して一体の御本尊が、御住職より丁重に下附される。これは前述のごとく、時の御法主上人の允可(いんか)のもと、如法に執行される日蓮正宗の化儀である。
しかるに、現在の顕正会では、信徒除名処分を受けた俗人であるにもかかわらず、浅井昭衛が、形木本尊を平然と配布している。それこそ、「大聖人様の御眼を恐れぬ無道心」どころではない。大謗法である。
謗法者たる浅井はその資格を、いつ、誰から与えられたのか、大聖人の御金言か御歴代上人の文証をもって回答せよ。
浅井の目論見(もくろみ)は、死ぬまでダンマリを決め込み、全ての責任を松本氏に擦(なす)り付けたまま、頬被(ほおかむ)りして通す腹づもりであろう。しかし、そうはいかない。
かつて浅井は、正本堂御供養に参加した言い訳として「納むべきは納め、そして諌(いさ)むべくは諌める」と言っていたが、今からでも遅くない。この上は、本尊を不正に入手、偽造複製して、バラ蒔(ま)いた事実を正直に申告し、全てのニセ本尊を回収して総本山に納めるべきである。
そうすれば、少しは地獄への道行きも軽くなろうし、何より、多くの会員が与同罪を免(まぬが)れるのである。
その上で浅井は、深く深く反省懺悔(さんげ)の余生を送るべきである。