保科 秋枝さん
強烈な顕正会への勧誘、その手口
”夫の昔の同僚”を名乗る女性の正体
私は、令和二年に顕正会を脱会して法華講員となることができました。
顕正会に入ってしまったのは、平成十四年六月のことでした。
その日、自宅に、以前、夫と同じ職場に勤めていたという女性から電話があり、唐突に「奥さん、どうしても話したいことがあります。電話では話せないことなので、どうしても会ってほしい」と言われ、「何か、この人と夫との間で問題が起きたのだろうか」と思い、不安な気持ちで会う約束をしてしまいました。
待ち合わせ場所で会ったKという女性は、話を始めたものの、世間話だけで、なかなか本題に入りません。
そこで、私から「いったい何の話ですか」と聞いたところ、Kさんはいきなり、「私は顕正会員です。顕正会は、日蓮大聖人の教えを忠実に守っている唯一正しい団体です」と言ってきました。
当時の私は宗教には全く関心がなく、「興味はありません」と断ったのですが、Kさんはまくし立てるような勢いで、「入会すれば、絶対に幸福になれる! 宿命が変わる」「数珠と経本の代金五百円だけで、あとはお金がかからないから」と言って入会を勧(すす)めてきました。
私は、その強烈さに圧倒され、入会を承諾してしまったのです。
今にして思えば、その当時、生活上に悩みがあって、それが解決するなら、という気持ちもあったからだと思います。
悩みというのは、多額の借金に住宅ローンもあって、経済的に逼迫(ひっぱく)した状態だったのです。
そこへ、顕正会員から「宿命が変わる」と言われ、ついつい、入信してしまったのでした。
入会して知った顕正会の金集め体質
盲信する会員達の異常な言動に唖然
しかし、いざ顕正会に入ってみると、最初は「五百円しかかからない」と言っていたにもかかわらず、毎月発行されている『顕正新聞』は「他の人への勧誘に使うのだから、最低でも二部以上は必要」と言われ、半ば強制的に複数購読させられました。
また、顕正会本部で行なわれる日曜勤行の時の浅井会長の話が収録されたカセットテープと、月に一回行なわれる総幹部会を収録したカセットテープ、それぞれ千円するのですが、これらも売りつけてきました。
私は、「強要されたくない。買いたい時には自分から買うから、放っておいてほしい」と言いましたが、「後で後悔するよ」と半ば脅(おど)しのように迫られ、結局、しぶしぶ買ってしまいました。
また、顕正会では、毎年、「広布御供養」といって金銭を集めていました。
任意とは言いつつも、「一万~八万円」という高額を提示され、Kさんからは、「保科さんは、働いているし、子供もいないんだから、八万円できるんじゃない。八万円、御供養すると功徳が大きいよ」などと言われ、半ば信じてお金をさし出してしまいました。
しかし、顕正会には功徳などなく、逆に、予定外の支出が増えて、生活費が圧迫されていくばかりでした。
経済苦が増していく中、私は、毎年の広布御供養に八万円という金額は出せないかもしれないと思い、Kさんに、「もし、毎年、同じ金額ができない場合はどうなるの?」と聞いたところ、返ってきた答えは、「その差額分、罰が出る」というものでした。
私は思わずムッとして、「日蓮大聖人様が、そんな無慈悲なことを言われるとは思えない」と言い返すと、Kさんは、「実際、私は金額を下げたら罰が出た」と、また脅しのようなことを言うのです。
私は苛立(いらだ)って、「顕正会でやっていることは、自分たちが批判している創価学会と変わらないね」と言い返しました。
Kさんは困ったように「学会と同じではない」と弁明しましたが、私の心には、顕正会に対して何とも言えない不信感が募(つの)っていきました。
また、毎年七月になると、『顕正新聞』の代金一年分を前払いで支払うように強要してくるのですが、「必要な時に買うから」と購読を断わったところ、「新聞が無くなったらどうする!」と、こんな馬鹿げたやり取りも何度かありました。
私は、一分信じて顕正会に入会したものの、初めの説明とは違い、次々とお金を取られた上に、「従わなければ罰が出る」と言われ、しぶしぶ従うという繰り返しの中で、なんだか、詐欺(さぎ)にあっているような気持ちになっていきました。
また、顕正会の人たちは、浅井会長の話を全て鵜(う)呑みにしており、会合で会長が「地震が来る」と言えば、空ばかりを見て、「あれは地震雲かもしれない」と言ったり、凶悪犯罪が起きれば、「先生の言うとおりになっている。先生はすごい!」と騒ぐのです。
どうしてそこまで信じ込めるのか、私は、ついていけない気持ちになりました。
さらに、日蓮正宗に対しては、「宗門は堕落した」とか、第六十六世日達上人の御臨終に関する誹謗(ひぼう)、また第六十七世日顯上人に対する酷(ひど)い悪口を平然と言っており、それも、新潟にいる幹部連中たちが、まるで見てきたかのように言い散らかしていました。
それがどれほど恐ろしい謗法罪であるか、当時の私は知ることもなく、顕正会の中でそうした話を聞かされるうちに、いつしか私も洗脳され、次第に邪(よこしま)な教えを身につけていってしまいました。
法華講との出会いは「集会(顕正会)」の会場前
染みついた害毒を払って正法に帰伏
私は、「悩みを解決して、幸福になりたい」という気持ちで顕正会に入ってしまいましたが、やればやるほど、疑問や不信が生まれ、それでいながら顕正会の間違った教えが心や身体に染みついていき、悶々(もんもん)としながら月日が過ぎていきました。
当然、生活上の悩みが解決されるはずもなく、経済苦は続いていました。
そして、顕正会に入会して二年ほどが経過した平成三十年五月三日、新潟では、浅井会長を招いて一万人集会を開催することになり、私も会場に行きました。
すると、その日、法華講の方たち二十名ほどが、会場前の路上で通りすがりの顕正会員に声をかけ、連絡先を交換したりしていました。
あとで知ったのですが、その法華講の方たちは、「たとえ一人でも顕正会員を邪教から救い出し、正しい大石寺の信仰に目覚めさせたい」という思いで、活動していたのです。
その中で、私も関繁美さん親子に声をかけられ、電話番号を交換しました。
その後、さまざまなすれ違いの末、出会いから一年後にようやく面談の機会が訪れました。
顕正会の幹部たちは、関さん親子を顕正会に入会させようと色めき立ち、幹部を含めた三人が私に同行しました。
面談の場では、関さん親子が顕正会の間違いを話すのに対し、私は訳もわからないまま、幹部たちと一緒になって、宗門や御法主上人猊下を一方的に誹謗し、あげくは、相手が入会しないことがわかるとサッサと帰ってしまった幹部たちの後を追い、私も席を立ちました。
それからさらに一年後―今度は、関さんと一対一で会う機会が訪れました。その時、幹部も「ついて行く」と躍起(やっき)になっていましたが、私はそれを断わり、関さんとの待ち合わせ場所に向かいました。
そして、関さん宅に場を移し、法華講の先輩も交えて、ひざ詰めで再び折伏を受けたのです。
しかし、関さんたちがどんなに顕正会の間違いを諭(さと)してくれても、私は反射的に、「浅井センセーは間違っていない」「顕正会は間違っていない」という言葉が口をついて出てきてしまいました。
普段、顕正会に対してたくさんの不信や疑問がありながらも、自分の中に染み付いた顕正会の害毒が出てきたかのように、根拠も示せないまま、ただ「間違っていない!」とだけ言い張り続けていたのです。
すると、そこに、藤田さんという、元顕正会員で、現在は法華講員となっていた方がたまたま訪問してこられ、その藤田さんも折伏に加わってくれました。
藤田さんが、学生時代に顕正会に騙(だま)されて活動していたけれど、さまざまな疑問が出てきたこと、その後、日蓮大聖人の正統な流れは、日蓮正宗にあることを知ったこと等々、諄々(じゅんじゅん)と話してくれました。
私は、その全てに納得でき、うなずきながら聞いていましたが、まだ、気持ちの整理ができませんでした。
そうして延々四、五時間の時間が経(た)った頃、時刻は夕刻となり、皆さんから「一緒に夕の勤行をしませんか」と言われ、私も行なってみることにしました。
すると、まず勤行の仕方が、顕正会と全然違います。
法華講では夕は三座の勤行ですが、顕正会は方便品と寿量品を一度読むだけです。
私は、「浅井会長も以前は日蓮正宗の信徒だったはずなのに、なぜ勤行の仕方が違うんだろう」と、ますます法華講の皆さんの方が正しく思えてきました。
そして、勤行をした後、不思議と気持ちがすっとして、顕正会を脱会して日蓮正宗に入信し、今度こそ、本物の信心をしようと決意することができました。
あとにして思えば、これが「たとえ発心真実ならざる者も正境に縁すれば功徳なお多し」と言われるように、「正境に縁」した功徳だったのだと思います。
そして、自宅に戻った私は、すぐに顕正会に関するものを全て処分し、数日後、地元の正宗寺院において御授戒を受けることができました。
「これこそが正しい仏法の信仰だ!」
顕正会とは大違い!正信正行の功徳
それから一週間ほど経ったころ、私の様子がおかしいことを察知して、顕正会のKさんと幹部二人が私を訪ねてきました。
その時、私はKさんたちに、「顕正会は間違っている」「浅井会長がなぜ破門されたのか、知っているのか」と聞きましたが、「知る必要はない」と言って、私の話には一切答えることをせず、「顕正会を退転した保科さんには、絶対に罰が出るからね!」と捨てゼリフを残して帰っていきました。
ところが、罰どころか、日蓮正宗に入信して二ヵ月ほどが経ったころ、生活環境が大きく変わる功徳を頂戴したのです。
顕正会時代にはあれほど経済的な問題で大変だったのに、クレジットの返済が大きく軽減されることになり、生活にゆとりが出て、安心ある生活が送れるようになりました。
そして、気持ちが落ち着き、正しい信仰の功徳が実感としてこみ上げてきました。
また、晴れて大石寺にも参詣でき、「総本山はこんなに素晴らしい場所なのか」と大感激し、その後、御本尊様をお貸し下げいただくこともできました。
朝晩の勤行も正しく教えていただき、勤行を根本に生活に励む中、生命力が溢(あふ)れてきました。
私は、長年、会社で経理の仕事を任(まか)されていたのですが、社内では皆から頼りにされ、様々な面で職場がより良い環境となり、定年まで勤めさせていただいて、その後も、金銭的な不安は全くなく生活できています。
顕正会時代を振り返ってみると、まるで、顕正会という会社の中で、土日もなく勤務させられているような感じでした。
幹部らの一般会員に対する扱い方は、非常に強圧的で、何もかも〝させられている〟という感じでしたが、法華講では、常に大聖人様の御金言に照らして、仏法の道理や正しい信仰の在り方を教えていただけるのです。
今も顕正会に騙されている人たちには、「誤った師匠に従っていては、絶対に幸福になれない」ということを教えてあげられるよう、しっかり折伏に励んでまいります。