理境坊所属妙観講・理事 佐々木 寛司
去る三月十二日以来、顕正会教学部長・坪田敏との対論が続いています。
その内容は、とても法の正邪を論ずるようなものではなく、また、多くの方々には関係のないマニアックなものですが、しかし彼らがこれを機関紙『顕正新聞』に発表していることに鑑(かんが)みて、ここに実際の様子を報告しておきたいと思います。
坪田が用いた愚劣きわまる詐術
ことの発端は、『慧妙』四月一日号に掲載されているように、坪田ら二名が突然、私の自宅に押しかけて来たことからでした。
その時の坪田の主張は、令和元年五月十九日に妙観講の女性講員の訪問を受けた浅井昭衛が「カエリタマエ」との声を発して逃げてしまった件について、「カエリタマエの音声はインターホン越しのものではない、という証拠があったのだ」というものでした。
そもそも、当初『慧妙』にこの「カエリタマエ」報道がされた時は、その音声は浅井宅のインターホンからのものである、との認識で記事が書かれていました。
これに対し顕正会は、その時、浅井昭衛は不在であり、ゆえにこの音声は浅井がインターホン越しに発したものではなく、後付けで録音データに合成された捏造(ねつぞう)音声である、と反論してきました。
その後、この問題が裁判で争われることとなったのですが、双方から対立する鑑定書が出てきたため、裁判所では、この音声データが捏造であるか、どうか、との判断を下すことを避けてしまいました。
それだけに、私宅に押しかけてきた坪田は、「捏造の証拠があったのだ」とは言えず、かと言って引き下がることもできず、そこで思いついたのが「音声の出どころはインターホンではない、という証拠があったのだ」との、論点をずらした主張だったのです。
これを聞いた私は、当然、坪田が「インターホン越しの声ではなく捏造の音声だったという証拠がある」と主張しているものと認識し、妙観講が捏造などするわけがありませんから、坪田の「その証拠があったら脱講するか」との追及に、「あったらこの場で脱講してやるよ」と言いきり「その証拠を出せ」と迫ったのです。
ところが、その場では坪田は証拠など出せず「今日は持ってきていない」と言って逃げ帰ったのでした。
裁判の準備書面を切り文で悪用
それから約一ヵ月後の四月八日、またも突然、坪田と浅野の二人が自宅にやって来ました。証拠を持ってきたというのです。
彼らが一ヵ月近くかけて探し出してきたという証拠は、なんと、妙観講が訴えを起こした際に裁判所に提出した、妙観講側弁護士の作成にかかる準備書面でした。
その書面の中に、たった一行「結果的に本件音声はインターホン越しではないということがわかった」とある部分に目をつけ、「これが証拠だ。この通り大草講頭も認めているぞ、脱講しろ」と詰め寄ってきたのです。
私は「十八頁に及ぶ長い準備書面のたった一行だけを見せられても、この場では判断できない。書面を精査した上で後日返答する」と言って、帰らせました。
そして書面を見て、驚きました。精査するもなにも、同じ頁の数行後に「本件音声がどこから発せられたものなのか、現時点では判然としない」と書いてあったのですから。
結局、坪田は、長い書類の中から一部の文章を抜き出して、さも、それらしく見せかけていたのです。
坪田は、後日も同様の手口で、準備書面を切り文引用していますので、少し話は前後しますが、以下にその当該箇所の全文を挙げておきます。
「仮に本件音声が、高い技術力をもって巧妙に捏造されたのであるとすれば、音響分析を行えばすぐにインターホン越しの音声ではないことがわかるにもかかわらず、訴外株式会社慧妙が『インターホン越しに』との報道をするわけがない。」
これが準備書面の当該箇所の全文です。要するに、もし、カエリタマエの音声が合成されたものであるなら、それを音声鑑定すれば、インターホン越しの本物の声などでないことが発覚するのだから、それを承知で「インターホン越しの声だ」などと(慧妙が)報道するわけがないではないか、との趣旨であることは明らかです。
坪田はこれを切り文引用して、妙観講がインターホン越しの声でないことを認めた文章に見せかけよう、とするのですから、呆(あき)れて物が言えません。
謀(たばか)り集団・顕正会の愚劣さは、ある程度理解はしていたものの、こんな、すぐにバレる切り文を使って人を陥(おとしい)れようとは、あまりに程度が低いではありませんか。
さて、私は、「五月一日に精査内容を教えてあげよう」と、自宅に坪田と浅野の二人で来るように伝えました。
坪田自身も「行く」と述べたのですが、切り文の発覚で形勢不利と悟(さと)ったのでしょう、当日、関係ない妙観講本部に押しかけ、騒いで、私との対論の約束をはぐらかし、遁走(とんそう)してしまいました。
このことを『慧妙』で「坪田が再び醜態」と報道されるや、以来、坪田はなんとか形勢逆転をしようと、夜遅く妙観講本部前に、徒党を組んでやって来ては、大草講頭を誹謗(ひぼう)するビラを路上で撒(ま)いていましたが、講員達には相手にされず、通行人からは不審がられて警察に通報される、という有り様でした。
さらに私に対しては、先述した切り文をもって脱講が確定したとして、夜遅く自宅前で待ち伏せたり、昼夜構わず突然やってきて繰り返し大きな声で呼んだりして、ともかく脱講届を書かせようとしてきました。
「社会の迷惑」でしかない顕正会
このあまりにもしつこい坪田のつきまといに、私は、準備書面の精査内容を分からせてやれば少しは自らの誤りに気付けるかもしれない、と思い「一対一の面談なら応じてやる」と日時と場所を指定しました。
こうして、去る七月三十日、松戸の喫茶店で、私と坪田が決着を付けるために会うこととなったのです。
感心にも坪田は、この場には一人でやって来ましたが(外には浅野ら手下を二人配置していました)、最初から「お前は脱講が決定しているのだ、さあ脱講届けを書け」と大声で言い始めました。
私は、先述のような、準備書面についての説明をするのですが、坪田は全く聞こうとせず、大声で同じようなことを繰り返すばかりです。あまりの騒々しさに、他のお客や店員さんから「静かにしてくれ」との苦情が出る程でした。
辟易(へきえき)した私は、「裁判所も、音声データが捏造かどうかについて、判断できないのだから、我々がここでいくら議論しても、決着がつくわけがないんだよ」と言って、坪田が右手に持って撮影しているスマホに向かって、思いっきり言ってやりました。
「浅井昭衛、聞いているか?あんたが出てきて大草講頭と法論すれば、一件落着なんだ。あんたの下僕(げぼく)の坪田が、カエリタマエの音声データが捏造だという証拠を出せなくて、今日も惨敗したんだ。
坪田よ、土下座してでもセンセイに法論に出てもらうよう懇願(こんがん)してこい。今日もお前の負けだ」と宣言して喫茶店を出ました。
ところが坪田は、未練がましく「逃げるな、逃げるな」と、付きまとってきます。
仕方なく近くの交番に入ったのですが、それを撮影し続ける、という狂いぶりです。
警官から「あなたは関わらないで帰ってください」と忠告を受け、私は自宅に向かって歩いて行きました。
すると自宅近くには、浅野らが待ち伏せしており、そこに坪田も合流して、公道にも関わらず三人で私を捕まえ、回りを囲んで、「脱講しろ、脱講しろ」と詰め寄ってきました。
まさに狂乱状態です(これも坪田らに言わせれば、正義の糾弾活動ということにでもなるのでしょう)。
そこへ通行してきた車のドライバーに、警察に通報してほしいと依頼し、やがて警官がバイクやパトカーで来てくれて、やっと解放されました。
警察官は、坪田らの事情聴取をした後、私の家に来て「これ以上、あんな連中に関わると何が起きるか分からない。
とにかく彼らとは関わらないでください」と、繰り返し忠告してくれました。
狂信集団・顕正会を根絶すべし!
以上、これまでの坪田敏との対論の顛末(てんまつ)を述べましたが、いかに坪田が顕正会内で格好のよい発表をしたところで、双方の主張の内容を見比べてもらえば、また、坪田が私に脱講を求める理由(笑)を見てもらえば、この低レベルが顕正会の教学部長なのだ、ということが誰にでもわかると思います。
また、目的のためには反社会的行為も厭(いと)わない、という顕正会の体質がよくわかろうというものです。
このような、大聖人の仏法を騙(かた)る狂信集団・顕正会を、断じて放置してはいけないと、痛感した次第です。
なお、最後に一言しておけば、坪田は、妙観講本部に「慧妙の責任者を出せ」などと電話をかけ、「それは慧妙編集室に言ってください」と言われても、執拗(しつよう)に電話し続け、ついに業務妨害と看做(みな)されて電話を取ってもらえなくなると、「今や妙観講本部は顕正会教学部を恐れて電話にも出られなくなっている」などと発表しています。古い言い方ですが、へそが茶を沸かす、とはこのことです。
相手にする価値もない嫌がらせではなく、本当に法論をする気があるのなら、顕正会の正式な代表一名と妙観講の正式な代表一名で、いつでも法論を受けてあげるから申し入れてこい、というのが妙観講のスタンスであることを申し上げ、擱筆(かくひつ)します。