顕正会に感じた違和感とは
私は、四年前に顕正会に入会しましたが、悩みはまったく解決せず、良いことなど何一つありませんでした。ところが、一年前、妙観講の方から折伏されて法華講員となってからは、本当に功徳を実感できる人生に変わってきたのです。
ここに、功徳においても、信仰の在り方においても、天地雲泥の差がある顕正会と法華講の違いについて、私の見たままを述べさせていただきます。
私は現在八十五歳になりますが、二人の息子のうち、次男は脳性小児麻痺で、自分では歩行もできず寝たきりでしたので、次男が五十九歳になる今日まで、ずっと介護を続けています。
ある時から次男は、幻聴や幻覚の症状が出るようになって、霊のようなものが見えるらしく、食事の介助をしていると、「俺のご飯を横取りされる」と泣き出すようになりました。
そういうことが四六時中起こるようになって、ほとほと疲れきった私は、ある日、たまたまエレベーターに乗り合わせた女性に、独り言のように「うちの子がね……」と話しかけていました。
すると、その女性が「お母さん、時間ある?」と聞いてきて、連れて行かれた先が、板橋区ときわ台の顕正会の会館(東京会館)でした。
そして、何が何だかわからないまま、女性から「ここに名前書いて」と言われて書類に署名し、数珠と経本を渡されて顕正会に入会してしまったのです。今から四年前の、平成二十八年九月の出来事でした。
その後も、次男を救いたいという思いから、連れて行かれるまま、会館で会合に参加しましたが、浅井会長の話はいつも同じような話ばかりだし、体験発表も、最後は決まって「浅井センセーについていきます」と言っていて、「なぜ大聖人様じゃないのか?」と不思議に思うようになりました。
そして、入会から三年ほど経った昨年五月、いつも会館に行く際に迎えに来る人達が、その日は都合が悪くなったということで、私は初めて、一人でタクシーに乗ってときわ台の東京会館へ行きました。
ところが、ビデオ上映を見ている会員達の雰囲気が、以前にテレビか何かで見たことのある、池田大作に熱狂している創価学会員みたいに見えてきて、バカらしくなり、途中で出てしまいました。
そして、会館から出て帰ろうとした時に、声をかけてきたのが、法華講員の杉山みゆきさんでした。杉山さんは、顕正会員を折伏するために、会館の外で会員が出てくるのを待っていたようです。
私が見た顕正会と法華講員の差
杉山さんは、「私も以前、顕正会に入っていたけど、顕正会は間違っているということに気付いて、今は本物の日蓮正宗で信心をしている」と言ってきました。
その杉山さんの話を聞いているうちに、私は、「たしかに、三年間も顕正会で信心してきたのに、一つも良い事なんてなかった。それは、顕正会の教えが本物じゃなかったからだ」と思ったのです。
その数日後、杉山さんが、先輩の堀井さんと一緒に我が家に来て、顕正会の間違いを解りやすく話してくれました。全てに納得できた私は、日蓮正宗に入信することを決め、その翌日、正宗寺院にて御授戒を受けることができたのです。
さらに、その一週間後に次男も御授戒を受けることになっていたのですが、講中の方達が、車椅子ごと乗せられるワゴン車で迎えに来てくれて、次男を抱きかかえたりしながら正宗寺院まで連れて行ってくれて、無事、御授戒を受けることができました。その御授戒の時、次男が涙を流して喜んでいたことが忘れられません。
法華講で最初に教わったことは、毎日、五座三座の勤行をする、ということでした。杉山さんは、毎日のように家に来てくれて、ゆっくり、丁寧に、一緒に御経を読みながら、勤行を教えてくれました。
顕正会の時は、経本を渡されただけで、読み方や勤行の仕方など誰も教えてくれなかったので、私は自己流に御経を読んでいました。また、顕正会の人は、一緒に題目三唱はするけれど、一緒に勤行をしてくれたことなど一度もありませんでした。
また、顕正会では、「お題目も百遍でよい」と言われていましたが、法華講では、唱題の意義と功徳についてもきちんと教えてくれて、「できるだけ多く唱えましょう」と教わりました。おかげで、唱題の時間も少しずつ伸びてきて、今では、気づくと一時間経っていることもあり、一日二時間の唱題を心掛けて頑張っています。
そして、会合も、顕正会の時はいつも同じ話ばかりでつまらなかったのですが、法華講に来てからは、体験発表に感動し、勉強会でのお話もとてもわかりやすく、だんだんと仏法のことがわかるようになってきました。
過去の謗法を思い知る出来事
そのようにして、少しずつ信心を進めてきた入信四ヵ月目の頃、次男が、食べたものを吐くようになりました。
そんなことが一週間ほど続いたある日、次男は朝から嘔吐(おうと)が止まらず、「往診を頼もう」と言っても嫌がり、そのうちに、吐いた物に血液が混じりはじめました。私がオロオロしていると、次男は「御経、御経」と言って勤行を催促してきました。私がそばで唱題を始めると、次男は、あれほど診察を嫌がっていたにも拘わらず、自分から「救急車」と言ってきました。
その日は、たまたま長男が仕事が休みで在宅しておりましたので、長男に頼んで救急車を呼んでもらいました。その時の次男は、血の塊(かたまり)を吐き出すほど、様子が悪化していましたので、私一人の時だったら、どうすることもできなかったと思います。長男が居合わせたことは、本当に図ったようなタイミングでした。
しかも、驚いたことに、救急車を呼んでからわずか三分ほどで、救急隊の人が家に来てくれました。なんと、別件を終えて消防署に戻る途中、ちょうど我が家の近くを走っていた時に、センターから連絡を受けたのだそうです。
救急隊の方も、次男がただならぬ状態であることを感じたらしく、救急車の中で「お母さん、何が起きても驚かないでくださいね」と言ってきて、私は心の中で必死にお題目を上げ続けました。
次男の吐血の原因は、「マロリーワイス症候群」といって、激しい嘔吐によって食道と胃がつながる周辺の粘膜が裂け、そのために出血し、起こるものであることがわかりました。医師から聞いた話では、あと三十分遅かったら命が危なかったとのことで、「救急車が早く来てくれて良かったですね」と言われました。私は、あらためて、間一髪のところを御本尊様に護っていただけたのだ、と思いました。
しかし、落ち着いた頃になって、「なぜ顕正会を辞めたのに、こんなことが起こるのだろう」という思いが起こってきました。
というのも、顕正会を辞めた後、しつこく電話や訪問をしてきた顕正会の人から、「顕正会を辞めたら大変な事が起きるからね」と言われていたことから、それを思い出して迷う気持ちが出てきたのです。
私は、杉山さんに電話をして、正直にそのことを話しました。
すると杉山さんや講中の先輩は、
「正法に入信したといっても、顕正会にいたこと等、入信前に犯していた謗法の罪が帳消しになったわけではありません。しっかり修行して功徳を積み、罪障消滅していかなければいけないんですよ」
と、ていねいにお話して励ましてくださいました。
おかげで、私の迷いは消え、次男のためにもしっかりと信心をしていこう、と思いました。
しかし、折伏で過去の罪障を消していく、ということを教わったものの、顕正会の時に「知人を紹介しろ」と言われ、さんざん嫌な思いをしていたので、折伏だけはなかなかできずにおりました。
そうした中、新型コロナウイルスの流行で、入院中の次男の見舞いにも行けず、三ヵ月も過ぎると介護手当等も貰えなくなって、経済的に窮地に追い込まれるようになりました。
「これはもう、折伏していくしかない」と思った私は、それからは、家に訪問してきた営業の人やアパートの知り合いに声を掛け、講中の方達に手伝ってもらって、周囲の人たちを折伏するようになりました。
すると、初めは苦手だった折伏も、だんだん楽しくなってきました。それに伴って、次男の退院が決まり、次男は九月末に家に戻ってきました。
その後、疲れが出たのか、今度は私が意識不明で倒れてしまったのですが、しかし、ちょうど看護師さんが訪問してくれた時で、玄関を開けたら私が倒れており、すぐに救急車を呼んで、早期に処置を受けることができました。
なお、検査の結果、私には脳梗塞が見つかったのですが、麻痺や言語障害などの後遺症は全くなく、たった四日で退院することができました。
それにしても、次男の時といい、私の時といい、これ以上ないようなタイミングの良さで手当を受けることができ、このような不思議な体験を二回も続けてするなんて、やはりこれは御本尊様に守っていただいたのだ、と強く確信する事ができました。
街中で顕正会員を撃退
退院して一週間ほどが経った頃、私は、車イスで買い物に出かけました。すると、『顕正新聞』を持った顕正会員が近寄ってきて、「足が良くなるから、これを読んでみて」と言ってきたので、私は、「それを私に渡したら、ここでビリビリに破って捨てるからね!」と突き返しました。顕正会員が「なんで、そんなこと言うの?」としつこく聞いてきたので、「顕正会が大嫌いで、辞めたんだ!」と言ったら、「なぜ辞めた」と言いながら後を付け回してきました。
その人に、顕正会を何年やってるのかと聞いたところ、「三十年」と言うので、「三十年も顕正会にいて、まだ浅井センセーの間違いに気づかないの? 私なんて三年で、浅井センセーが間違っていることに気づいたわよ! そうやって時間とお金と体力を使って、そんな物(顕正新聞)を配って会員を増やして、それが結局、浅井センセーの懐(ふところ)に入るだけなんだから、早く気づいて辞めなさい! 信心したいなら、法華講じゃなきゃダメだ!」と言ってあげました。
その時、私を取り囲んで、「ろくな死に方をしないよ」などと暴言を吐いていた顕正会員は、全部で五、六人もいたでしょうか。最後、バスに乗ろうしたところに、また別の顕正会員がやってきて、他の通行人に新聞を渡そうとしたので、「顕正会は間違っているから、そんなもの貰ったら絶対ダメだよ!」と大きな声で言ってやりました。
その後は、スッキリと元気になり、それも不思議でした。
その出来事を杉山さんに話したところ、「寄ってたかって暴言を吐かれたおかげで、また一つ罪障消滅できたんですから、良かったですね。素晴らしい折伏でしたね」と何度も言っていただきました。
入信してから一年、今では唱題も一時間、二時間とできるようになり、苦手だった折伏も楽しくできるようになりました。それは、ここまで手を引いてきてくださった先輩方がいてこそのことです。顕正会とは大違いです。
現在、私は八十五歳になりますが、こうやって元気でいられるのも、御本尊様のおかげです。本当にこの仏法は凄いと思います。そのことを、長男や友人に、しっかり教えていってあげたいと思っています。
ありがとうございました。