顕正会男子部の実態

顕正会 12月度 総幹部会における妙観講誹謗を破す

佐藤ノリオ 第9隊総支隊長

この度、妙観講員の急死を眼前にして、御本尊様の賞罰歴然を目の当たりにしました。
昨年5月下旬、私が訪問配布で知り合った深沢という男性から、私の連絡先を聞いたという、妙観講員の I と名乗る男が、私に話がしたいと 連絡してきました。
後日、行成副総男子部長、藤村副教学部長とともに、妙観講のIのほか、部長の渡辺と越智の3名を相手に法論をいたしました。

まずこちらが、妙観講員らに池田大作が、正本堂を御遺命の戒壇と表明したことが御遺命違背であることを認めさせたうえで、正本堂発願式における、宗門高僧らも池田と同様、正本堂をさして御遺命の戒壇と言っているため、同じく御遺命違背であることを突きつけると、それは全然違うと屁理屈を並べて反論してきました。

その反論がいちいちに的外れであることを指摘し、宗門高僧らの御遺命違背を徹底的に糾弾し続けていくと、ついに、妙観講員らは疲弊し、I はうんざりした様子で、もう法論には来ないといい、3人は電車がなくなるからと言って、逃げ帰っていきました。

その後、昨年9月に性懲りもなくIから、「帰りたまえの音声データのことについて話がしたい」との連絡があったため、私は音声データの元データの提出を求め、もし音声データが捏造であったときは、脱講させることを約束させようとしました。
すると I は「そんなことより猊下を誹謗すると罰が出ますよ」などと話をはぐらかしてきたため、「そんなことよりとは何だ。音声データの話を持ちかけてきたのはそちらだろ」とたしなめると、支離滅裂なことを言って話にならなかったため、電話を切ろうとしたところ、I は「現証で勝負しよう」と自信満々に言い出してきたのでした。

I は「佐藤さんは日達上人、日顕上人を誹謗し、悪言を吐いている。100日後・1年後・3年後・7年後に冥罰が出る。舌癌になる」と言ってきたのでした。さらに、Iは「学会の教宣部員とは舌癌をかけてやりました。証明済みです」などと意味不明な事言ってきたので、私は「それなら、来年が楽しみですね」と突き返し話を終えました。

その後も何度も I から連絡があり、徹底的に糾弾しましたが「とにかく猊下を誹謗していると、恐ろしい最後になりますよ」と捨て台詞を吐いておりました。

先日、顕正新聞11月15日号に掲載された菅原教学員の、「六つの問いに窮し、詭弁をろうする大草一党」の記事を持って糾弾せんと、I に連絡入れました。すると I の電話が解約されて連絡がつかなかったため、
私の連絡先を教えた深沢に連絡すると、なんと深沢は「I さんは、入退院を繰り返し、本年8月末に死亡しました。死因はよくわからないんです。」と告げてきたのでした。

私は深沢に、昨年の I との会話で、「現証で勝負しよう」と。 佐藤さんは100日後1年後3年後に冥罰が出る、舌癌になる」と言われたことそこで私から それなら来年が楽しみですね」と I に突き返したこと伝え、それより1年もしないうちに I が死亡したことについて、「これが現証です。罰です」と深沢に言い切ると、深沢は反発してくると思いきや、力なく「罰ですね」と。 認めておりました。

さらに深沢は、自身は妙観講員でないことや、役職を明かさない妙観講員の二面性や、あえて、第三者の深沢を法論の場に呼ぶ妙観講の謀略体質に辟易としており、そのことをI本人にも伝えてきた事を告白してきたのでした。また深沢は「最近の妙観講は顕正会との法論をことさらに避け、全て個人のやり取りにして、妙観講に責任が及ばないようにしている、完全に逃げていると感じます」と明かしてきたのでした。

この度の I の死亡という現罰を眼前にしては、「今は各々はげむらむ」との御金言と、広宣流布もいよいよ大詰めが近づいてる。 功徳の出方も早い。罰の出方も早い。これ全て大聖人様が諸天に命じたもう故の現証であるとの先生のご指導が、千金の重みで迫り、妙観講の崩壊、大草一党の宗門追放も近いことを大確信したものであります。

破折

①「高僧らの御遺命違背を徹底的に糾弾し続けていくと、ついに、妙観講員らは疲弊し、 I はうんざりした様子で、もう法論には来ないといい、3人は電車がなくなるからと言って、逃げ帰っていきました」等と言っているが、妙観講側が、「昭和四十七年四月二十八日付の『訓諭』が宗門の正式かつ最終的な結論で、ここに全てが尽きている」旨を主張しても、全く顕正会側は聞く耳を持たず、一方的に自己の主張を捲し立てるのみであった。
逃げ帰った等というのも事実無根である。

② そもそも、妙観講幹部でもない、一講員であった I 氏の折伏を妙観講の総意のごとく考えていることが間違っている。
妙観講では、「現証で勝負だ」などと、時期を区切って「あなたは○年後に○で死ぬ」旨の発言を固く禁じている。

それは、凡夫にはそのようなことが分かろうはずはないからであり、釈尊や大聖人にでもなったかのごとき発言をするのは増上慢だからである。
そうした講中方針を弁えずに、I 氏が期限を切って病名まで特定した予言を述べていたとすれば、それは同氏の信仰の未熟を示すもの、としか言いようがない。
それをことさらに取り上げて指弾しても、妙観講を破したことにはならぬ。

③ I 氏は異流義創価学会からの帰伏者であるが、当時から闘病中であり、急死でも何でもない。
病を克服するに至らなかったことは残念だが、これを事情も知らぬ者が、まるで兆候もない突然死であるかのごとく発表するのは、悪質としか言いようがない。
仏罰としか言えない突然死というのは、次のような事例をいうのではないか。これは顕正会を脱会して日蓮正宗に帰伏した、石手洗隆生氏の証言である。

「平成26年9月、さいたまスーパーアリーナで開催された、顕正会男子部五万人結集大会の帰途に起こりました。私が運転するワゴン車で深夜の東北自動車道を高速走行中、後ろに乗っていた会員が、突如、自らハッチバック式のドアを開けて車外に飛び出し、後続車輌に轢かれて即死するという、悲惨極まる事故が起きたのです(ホームページ『顕正会からの脱出』に詳細を掲載)」

この悲惨極まりない現証こそが、真の仏罰であり、急死と呼ぶべきものではないのか。

④「最近の妙観講は顕正会との法論をことさらに避け、全て個人のやり取りにして、妙観講に責任が及ばないようにしている、完全に逃げていると感じます」と、深沢が発言したことを引用しているが、顕正会員でも妙観講員でもない第三者に、こんなことを言わせて何になるのか。
顕正新聞発行責任者の小沼や法務部長の藤村が、次々と妙観講との正式法論から逃亡している事実を見れば、完全に逃げているのはどちらなのか、容易に理解できるであろう。

鹿児島県より参加いたしました。
男子部 今村ユウヘイ第15総部長

この度、妙観講の崩壊近しを確信する出来事がありました。
女子部員が広告文配布を行っていた際、K という30代男性が、素直に耳を傾け、自らの親が妙観講員であることを打ち明けてきました。
その後、K の父親が、女子部幹部にしつこく法論を迫ってきたため、12月12日に、私と大矢隊長とで、法論を行って参りました。

法論当日は K に加え、最初に折伏を受けた息子も同席をしておりましたが、私が御遺命破壊を責めようとした瞬間、父親の K は話を遮り、だったら何で顕正会は正本堂に賛同していたんだ。と叫び出したのでした。

K は 何を血迷ったのか、昭和40年の正本堂の建設委員会における 細井日達(上人)の、「正本堂が事相の戒壇堂である」との発言を浅井先生の言葉と勘違いし、「これは大謗法の発言ではないのか。」と言い出したのでした。

私は笑いをこらえながら、「お前はこの発言が大謗法と言ったが、間違いないな」と釘を刺すと、K は自分の発言がまずかったことにようやく気付き、必死に誤魔化そうとしておりました。さらに K は浅井先生が正本堂供養の際、「千載一遇」という言葉を使われたことをもって、「顕正会は正本堂を御遺命の戒壇と認め、御供養に参加した」とたばかってきました。

そこで私は「浅井先生が、いつ正本堂を御遺命の戒壇とおっしゃったのか。また正本堂を御遺命の戒壇と位置付けて供養を募った発言がどこにあるのか。証拠を出してみろ」と詰めたところ、K は様々な言い訳をするものの、結局は私は見つけられなかった、と観念し、たばかりであることを認めたのでした。

私が細井日達(上人)と阿部日顕(上人)が、正本堂をさして、御遺命の戒壇と言っていたらどうするのかと詰めた上で、二人の御遺命破壊の悪言を示しました。
すると K は途端に焦りだし、それは慰撫教導だとごまかすのが精一杯で、しまいには「最終的には猊下がお決めになったことが正しい」と、法主絶対論を強弁してきました。

私が大聖人様の御金言と歴代先師上人の仰せ以外に判断基準がないことを指摘すると、K は「それでは判断できない。解釈が違う」などとわけのわからないことを言い出したため、K に三大秘法抄の文意を説明させようとしたところ、何一つまともに答えられませんでした。
そして、三大秘法抄に示された御遺命の戒壇の時、手続き場所を突きつけ、正本堂の枉惑を追求しました。

すると、弱々しい声で、「迹門の戒壇ではそんな手続きはなかった」と言ってきたため、「今話をしているのは事の戒壇のこと。広宣流布の暁の戒壇の話だ。さあ答えろ」と攻め続けると K は 完全に回答不能に陥りました。

最後に私が、「私は宗門の御遺命違背の証拠を示した。それに対してあなたは何一つ証拠を示していない。これでお前の負けは確定だな。と強く言い切ると、K は「負け」という言葉に過剰に反応し、興奮しながら、 頑なに認めませんでした。

そこで私が K の息子に対し 客観的に見てどちらが正しいと思いますか?と聞くと息子は「顕正会が言うことが正しいと思います。」 とはっきりと顕正会の正しさを認めたのであります。

この度の妙観講員の姿を通して、改めて思うことは、大聖人様の御金言をもないがしろにする、宗門の無道心であり、大聖人様、戒壇の大御本尊様への信心は微塵もないことを痛烈に感じたものであります。

去る12月13日、厳粛に奉修された第3青年会館御入仏式において、浅井先生は、遥拝勤行こそ忠誠の証。そして大聖人の御意にかなう。 広宣流布最終段階における信行である。と指導下さいましたが、死罪に等しき解散処分を受けようとも、大聖人様への忠誠を貫かれ、今、遥拝勤行で、いよいよ大聖人御墓前の戦いに臨まれる、先生のお姿はあまりにも眩しく、不肖の弟子ながら、最後までお供させていただかんと、覚悟を固めるばかりであります。

破折

①そもそも、班長でも班長補佐でもない一講員との対話を挙げて、妙観講の崩壊近し、などと発表する異常さを恥じるべきである。

②当時の宗内情勢において、浅井昭衛も正本堂を広宣流布達成の暁に建立される戒壇と認識していたからこそ、昭和四十年当時の浅井は、「いよいよ意義重大なる正本堂が建立される」「宗門全体の重大な慶事」「いよいよ大衆の中に人類の中にその御姿を徐々におあらわしになる」「この御供養は、宗門の歴史をつらぬく大事」「二度とはない大福運」等々と述べ、その建立御供養を「千載一遇」として「全講を挙げて」参加しているではないか(『大石寺の名を詐称する顕正会の悪義を破す』46頁に詳述)。

この浅井発言がそのような意味でない、と言うなら、浅井発言についてキチンと釈明してみろ、と言いたい。

②先にも述べたように、正本堂の意義については、「昭和四十七年四月二十八日付の『訓諭』が宗門の正式かつ最終的な結論で、ここに全てが尽きているのである。その前後において、どなたのどのような発言があったとしても、御遺命破壊でなどであろうはずがない。

顕正会幹部連中は、どうもこのテーマでしか話ができないようであるが、その前に自分たちが拝んでいる宗旨の根幹に背くニセ本尊について、逃げ回ることなく大謗法か否かを議論してみよ。

③ K 氏の子息は、顕正会の総幹部会で発表されたような『顕正会が言っていることが正しいと思います』などと一言も喋ってないし、本人も「そんなこと言ってない」とかなり憤っている。デタラメな作り話もいい加減にするがよい。

④今村が発表した内容の中で、
「何を血迷ったのか、昭和40年の正本堂建設委員会の細井日達(上人)の『正本堂が事相の戒壇堂である』との発言を、浅井センセーの言葉と勘違いし、『これは大謗法の発言ではないのか?』と言い出した」の箇所について。

これは K 氏が日達上人の言葉を浅井が発言した言葉だと勘違いをしていたのではなくて、K 氏の説明不足から、今村が理解出来ていなかっただけである(後に今村も理解して、反論しているではないか)。

とにかく妙観講を貶めようとして、事実をすり替え、話を盛り、大々的に発表するのが顕正会の手口だが、こんなことでいつまでも会員を騙し続けられると思ったら大間違いである。