顕正会男子部の実態

妙観講 大草講頭との正式法論から逃亡した顕正会法務部長 藤村雄大の醜態・続報

先般、当ホームページにて、令和2年11月13日の妙観講員と顕正会員の折伏の現場に共に同席した、
理境坊妙観講 法務部の榎本富美子主任
顕正会 法務部長の藤村雄大
が、その後交わしたFAXを公開し、妙観講 大草講頭との正式法論からグダグダと難癖をつけて逃げ回る、藤村の醜態を掲載した。

その時点で公開したのは、藤村が自ら「最後通告」と宣告した11/25付文書と榎本氏が「最後通告」とした11/26付文書までだが、これで終わりにしたのでは格好がつかないと思ったのか、藤村は、自分で「最後通告」と言い放っていた言を無視して、11/29に再度、とんでもない言いがかり文書を送付してきた。

それは、これまでの文書を作成してきたのが榎本氏であることは、当事者同士なのだから当然よくわかっている上で、わざと「大草講頭が案文を書いているとみなして、大草講頭を『貴殿』と表記する」と言い出し、そこに、「本書面をはじめて目にする第三者にも貴殿の敵前逃亡がわかるよう、その経緯を改めて記しておきます。」等といって、今までの榎本氏の指摘は完全無視して、一方的に自分の言い分だけを書き連ね、あたかも「大草講頭が藤村から逃げた」事にしてしまおうとの姑息な意図のみで綴った、詐欺まがいの文書であった。

さすがはベロ出し昭衛の弟子と言うべきか、ウソと出まかせの塊である。
大草講頭も、藤村ごときから逃亡したことにされては、迷惑極まりないであろう。

このふざけた文書を受け取った榎本氏は当然憤慨し、藤村の嘘八百を追及する12/2付文書を送り付けた。その内容は、文書を作成しているのは自分であることはもちろん、

・「詫びる」必要のない件で謝罪を要求されても受けるわけがない事を見越して、「謝罪するなら相手にして差し上げる」と嘯き、一方的に「敵前逃亡」と決めつける、これが昔からの顕正会のやり方であること

・浅井会長は、自分から闘いを仕掛けたにも拘わらず、大草講頭からの破折文書に一切反論できなかったこと

・藤村は、11月度男子部班長会で、11月13日の件を発表するも、顕正会のニセ本尊について追及された事には一言も触れなかったこと

などを指摘。さらには、

・日蓮正宗法義研鑽委員会出版の書籍に、はっきりと『日布上人の大幅御形木御本尊』なるものは下附していないと明記してある事に対して、「それは証拠にはならない。なぜならその本は、裁判でいうところの弁護士作成の準備書面と同じだから。準備書面は弁護士が作成するもので、裁判当事者の陳述書ではない。だから証拠にならない」などと、弁護士用語で煙に巻こうとしたが、「まさに御本尊を下附しておられる当事者である日蓮正宗宗門が発刊した書籍なのだから、準備書面ではなく、書証でしょう。これ以上ないほどの立派な証拠です」と、バッサリと切られてしまったのである。
何とも恥ずかしい弁護士殿である。

さすがに返答に窮したか、藤村は、その後、ずっとダンマリを決め込んでいる。
それ故、榎本氏も、この最後通告のあとの追加文書については、そのまますっかり忘れていたため、このホームページに掲載することもなく終わってしまっていた。

ところが、である。
藤村のこの「哀れな顛末」を、あぶり出す不出来な後輩がいた。教学部・浅野某である。
性根の悪さで有名な人物だが、この浅野が、面識のない妙観講員に突然電話をかけ、話をぐちゃぐちゃと掻き混ぜたあげくに、「妙観講本部はこの藤村の文書を隠蔽した」などと勝手に決めつけて騒ぎ立てているという。

何ともくだらない話だが、妙観講として、これを隠蔽する理由など一片もない上、この藤村の恥ずかしい顛末を白日の下にさらす良い機会でもあるので、続報として、藤村の姑息な追加文書と榎本氏の破折文書を、ここに掲載する。11月度男子部班長会で語られなかったニセ本尊に関する珍回答も併せてご覧いただきたい。

令和2年11月29日
妙観講法務部主任
榎本 富美子 殿

顕正会教学部
藤村 雄大

ご連絡

冠略
貴殿からの令和2年11月26日付け書面(以下「本件書面」)につき、下記のとおりご連絡します。なお、本件書面は大草氏が案文を書いているものとみなし、以下、大草氏を「貴殿」、貴殿を「榎本氏」と表記します。

1 本件書面を一読し、「逃げていないように見せかけて逃げるのは大変だな」との感想を抱き、貴殿に対し、憐憫の情が湧きました。
当方は、貴殿に対し、本年11月25日付け書面において、大西氏から申出のあった貴殿との対論につき、貴殿の相手をして差し上げる旨を重ねて回答し、その具体的な候補日時、場所、議題等の条件を提示しました。

したがって、同書面にて指摘したとおり、あとは貴殿が、当方が提示した候補日時から都合の良い日時を指定すれば、貴殿と当方の対論は実現したのです。しかし、貴殿は当方からの二度にわたる候補日時等の提示にもかかわらず、結局、当方との対論から逃げてしまいました。これを敵前逃亡というのです。
貴殿及び榎本氏は重々承知でしょうが、本書面をはじめて目にする第三者にも貴殿の敵前逃亡がわかるよう、その経緯を改めて記しておきます。

2  そもそも本件は、去る11月13日、当方と榎本氏及び大西氏が対論(榎本氏によれば「折伏」)した際、宗門の御遺命違背に関する話題で回答に窮した大西氏が、「今度、講頭を連れてきます」、「そう、連れて、本当に講頭と一緒に」等と、次回は大西氏が大草氏を一緒に連れてくる旨を約束し、その場で貴殿にLINEでメッセージを送ったことから、当方は大西氏の意向を汲み、もし貴殿が来るなら相手をして差し上げる旨を答えたのです。

すると、榎本氏は、本件11月16日頃受信の書面において、貴殿の意向として、「以下の条件の上であれば、妙観講の大草講頭と藤村弁護士との法論の実現は可能との結論になりました」と前置きした上で、その条件として、大草講頭は、もとより妙観講の代表として臨むので藤村弁護士も顕正会の代表として臨む」との、大西氏との約束には全くなかった条件を追加することを要望してきました。

そこで、当方は、同年11月18日付け書面において、貴殿に対し、①仮に貴殿が顕正会との正式な法論(「顕正会の代表として」)を望むのであれば、今般大西氏から申出があった貴殿と当方との対論とは別の機会に、すでに顕正新聞令和元年6月15日等にて告知してあるとおり、まずは平成17年の対決から逃避した事実を詫びた上で正式な申入れをするよう告げるとともに、②当方は貴殿との対論に応じ、相手をして差し上げる旨を伝え、具体的な候補日時・場所・議題等の条件を提示しました。

また、前記のとおり、同年11月25日付け書面においても、重ねて具体的な候補日時・場所・議題等を提示し、「大草氏が肚を決め、対論の場に出てくることを期待しています」と告げ、これを貴殿に対する「最後通告」としたのです。

しかるに貴殿は、かかる当方からの二度にわたる候補日時の提示にもかかわらず、ついに当方との対論(前記②)から逃避してしまいました。貴殿からのメッセージを、そのまま貴殿に返しましょう。「怖いなら怖いと言えよ!」。当方は、大西氏の意向を汲み、貴殿の相手をしてあげると言っているのです。なぜ逃げてしまうのでしょうか。まことに、どこまでもこちらの想定を上回ってくる腑抜けのようです。

ともあれ、以上をもって、妙観講々頭・大草一男が、顕正会副教学部長・藤村雄大との対論から「敵前逃亡」したことが、ここに確定しました。

3  なお、すでに伝えてあるとおり、仮に貴殿が顕正会との「正式な法論」を望むのであれば(前記①)、顕正会教学部から令和元年12月13日付け書面にて告知してあるとおり、まずは筋道を正すため、貴殿が平成17年の法論から「敵前逃亡」して敗北したことを認めた上で、それを糊塗したことについて謝罪をし、しかる後に顕正会教学部法論の申し入れをするように。

貴殿は、自身が平成17年の法論から敵前逃亡したことを、よほど認めたくないようです。ゆえに令和2年11月22日付け書面及び本件書面において、繰り返し、同じような内容の文章を書いています。しかし、かかる「浅井先生に対して一方的に手紙等を送りつけてみたものの、相手にしてもらえなかった」という哀れな顛末を自己陶酔気味に書き殴った駄文を見せられても、失笑と憐憫の情しか起こりません。まして、貴殿が平成17年の対決から逃避した事実は何ら消えるものではありません。

もっとも自身の息子より年下の当方との対論すら全力で逃避した貴殿であれば、顕正会教学部との正式な法論など到底なし得ぬところでありましょう。大西氏と榎本氏の落胆する顔が目に浮かびます。そろそろ自身の限界を悟り、引退を視野に入れることをお勧めします。

4  いずれにしても、平成17年の法論に続き、今般、顕正会副教学部長・藤村雄大との対論からも完全逃避した貴殿は、御本仏日蓮大聖人の御遺命に背く大罪を速やかに改悔し、後生を恐れるべきです。
顕立正意抄に宣わく、「我が弟子等の中にも信心薄淡き者は、臨終のとき阿鼻獄の相を現ずべし。其の時我を恨むべからず」と。

草々

(※下線の箇所は書面では傍点が記されています)

令和2年12月2日
顕正会法務部長
藤村 雄大 殿

理境坊所属 妙観講
榎本富美子

ご連絡
前略

貴殿からの令和2年11月29日付の「ご連絡」文書を受け取り、大変に驚いております。貴殿が、前回の文書が「最後通告」とおっしゃっていたので、よもや次があるとは思ってもみませんでした。

ならば、「最後通告」を撤回され、大草一男講頭(以下、大草講頭)との法論を受けて下さるのかと、期待しながら読めば、これまでの中でも最悪の内容で、心の底から呆れてしまいました。

貴殿との窓口であり、これまで文書を作成してきたのは、私であるにも関わらず、いつのまにか、それが大草講頭自身であると勝手に思い込んで表記し、そればかりか私の心情まで妄想して書かれておられたからです。
大丈夫ですか?このような状態で弁護士のお仕事がまともに務まっているのか、心配になります。

貴殿は、「具体的な候補日時、場所、議題等の条件を提示」し「あとは貴殿が、当方が提示した候補日時から都合の良い日時を指定すれば、貴殿と当方の対論は実現した」として、これを受けなかったことが、「敵前逃亡」だと一方的に決めつけております。

貴殿の論理で言えば、当方が最初に「条件を提示」しており、それを貴殿が受けさえすれば、法論は実現したわけですから、貴殿こそ「敵前逃亡」したことになります。
この自己矛盾と論理の崩壊に気づかないのですか。お粗末ですね。

また、貴殿は「ご連絡」文書1頁の2項において、都合よく解釈した11月13日の経緯を、再度記載しておられますが、こちらからの法論についての趣旨は一貫しており、11月22日書面にて記載した通りです。

さらに貴殿は、2頁目で傍点を加えて強調し、当方の上げた条件について批判しておりますが、これは前回も述べたように、法論の在り方に関する日淳上人の御指南に従ったのであり、大草講頭が考えついた「意向」ではありません。このように申し上げても、正師のご教導に従ったことのない貴殿には理解不能だったのですね。

そして①として、貴殿は、大西さんからの申し出のあった法論とは別の機会に、平成17年の対決から逃避した事実を大草講頭が詫びた上で正式な申し入れをするように云々と述べています。

別の機会など作らなくても、今回の当方の条件を受ければ、一度で法論が実現できたのです。それを「詫びる」必要のない件で謝罪を要求されても、当方が受けるわけがなく、それを見越して、無理な謝罪を要求し、あとは一方的に「敵前逃亡」と決めつける。これが昔からの顕正会のやり方なのだと、納得がいきました。その非常識ぶりに開いた口が塞がりません。

貴殿は、再三にわたり、大草講頭に「詫びろ」と強要しておりますが、まず詫びるのは、貴殿の師、ご老体・浅井昭衛会長(以下、浅井会長)でしょう。
その上、やっと昭和63年の件に触れたと思えば、「浅井会長に対して一方的に手紙等を送りつけてみたものの、相手にしてもらえなかった」などと記載しているではありませんか。

大草講頭は、「手紙」を送りつけたのではなく、内容証明郵便を送ったのです。事実は正確に記載して下さい。

浅井会長は、自分から闘いを仕掛けたにも拘わらず、また、それに対応しての大草講頭からの破折文書を内容証明郵便で受け取ったにも拘わらず、一切反論しなかった(できなかった)のです。そして浅井会長は、この「哀れな顛末」を隠すために、平成17年、絶対に受けないだろうと予想しながら(むしろ受けたらどうしようと思いながら)、日顕上人に身の程知らずの法論を吹っかけ、自らの保身に走ったのです。
これほど「哀れな顛末」はありません。

今回の件で、私が大草講頭に「落胆」するなど有り得ません。勝手に私の心情を書かないでください。そういうのを妄想というのです。

また、先般、顕正会の11月度男子部班長会で、11月13日の件を発表しておられましたね。それについて申し上げます。

まず貴殿は、私が貴殿の資料を奪い取った云々とおっしゃっていましたが、奪い取ったのではなく、貴殿が提示した資料が、どこから出版されたものか確認するために、奥付を「見せて下さい」と言ったのに、貴殿がそれを見せようとしないので、貴殿の手を払って、その場で見せてもらっただけです。貴殿の資料は、ずっとテーブルの上にあり、私はそれを奪い取ってなどおりません。

そもそも貴殿は、成人男性であり、私よりも力があるのですから、その貴殿から私が資料を奪えるはずもありません。それとも貴殿は、そんなに非力で、私に奪い取られたのですか?

さらに貴殿は、当日、正本堂に関する件しか話題に上がらなかったかのように発表原稿をまとめておられて、私が顕正会の偽本尊について言及した事には、一言も触れませんでした。

当日、私は「慧妙」を見せながら、日蓮正宗として「日布上人の大幅御形木御本尊」なるものは、下附しておらず、よって顕正会の本尊は、勝手に拡大偽造した偽本尊であると申し上げ、その証拠は、日蓮正宗法義研鑽委員会によって出版された書籍に明記してあると述べました。

それに対して貴殿は、「それは証拠にはならない。なぜならその本は、裁判でいうところの弁護士作成の準備書面と同じだから。準備書面は弁護士が作成するもので、裁判当事者の証拠ではない。だから証拠にならない」などと、言いました。
これには笑止千万でした。

御本尊を下附しておられる日蓮正宗宗門は、まさに当事者であり、その当事者が発刊した書籍において、はっきりと「日布上人の大幅御形木御本尊」なるものは下附していない、と明言しているのだから、準備書面ではなく、書証でしょう。これ以上ないほどの立派な証拠です。

こんな姑息なごまかしを手口とするようでは、大草講頭と法論しても、木っ端みじんになったでしょうね。だから、あらゆる手段を用いて法論を回避し、敵前逃亡されたのですね。よく分かりました。

以上、顕正会副教学部長兼法務部長・藤村雄大氏は、大草講頭との法論を全力で回避し、敵前逃亡したことが確定しました。
私としては、貴殿の師であり、敵前逃亡を繰り返した御老体の汚名を晴らす絶好の機会を与えたにも拘わらず、師と同じ轍を踏む貴殿に、心の底から落胆しております。

なお貴殿は、大草講頭に対して、「そろそろ自身の限界を悟り、引退を視野に入れることをお勧めします」等と述べていますが、それはそっくりそのまま浅井会長にお返します。また、妙観講との裁判が終わった時点で、貴殿も潔く引退された方がよろしいでしょう。

草々