顕正会男子部の実態

「顕正会男子部の実態」 畑中広樹さん

顕正会では、日達上人・日顯上人の誹謗を繰り返しています。
大聖人様は『真言見聞』に
「謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり」
と仰せですが、私は顕正会員たちを絶対に許せないと思ったのと同時に、真実を知らずに騙されて、謗法の罪障を知らず知らずのうちに刻み付けている顕正会員が本当にかわいそうでならず、真実を知ってもらいたいとの思いで、講中の方々と一緒に徹底的に顕正会員を折伏するようになりました。

折伏をしていくと、狂ったように「くそガキ!死ね!」と罵声してくる人や、洗脳されてまともな会話の出来なくなっている人が多く、これこそニセ本尊を拝んだことによる罰の姿であると思い、本当に恐ろしくなりました。

さて、私は令和元年年の5月19日、東京の多摩会館へ折伏に行きました。この日は会長浅井昭衛宅をはじめ、全国の顕正会の会館・拠点70カ所を妙観講の講員有志が一斉に折伏に訪れましたが、私が折伏に訪れた多摩会館の責任者という秦某は、「すみません。お答えできません。また必ず連絡を入れます」と言って、こちらからの折伏に遁走してしまいました。

我々は秦某の言う事を信じ、電話がかかってくるのを待っていましたが、2ヶ月以上も連絡がないので、こちらから電話をしてみると、一方的に電話を切ってしまいました。

しかし、その次の日、顕正会副総男子部長で教学委員の「小沼」と名乗る男がいきなり電話をかけてきたのです。小沼はこちらの都合も考えずに、一方的に捲し立て、勝手に勝鬨をあげていました。その姿はまるで小学生がケンカを仕掛けてきているようで、笑いが堪えきれなかったのですが、そのあまりにも可哀想で惨めな姿が不憫でならず、メールで折伏をしていくことにしました。

すると小沼は、メールで一方的な約定を突きつけてきたのですが、浅井昭衛が大草講頭から30年以上にわたって逃げ続けていることや、突きつけてくる一方的な約定のおかしな点について反論していくと、小沼は「ワケのわからぬ屁理屈」「論理がメチャクチャで意味不明だ」と悪口誹謗に終始して、具体的にどこが屁理屈で、どこがメチャクチャなのか、全く答えることができず、反論不能となってしまったのです。

しかし、このままではまずいと思ったのか、小沼はこちらからの反論を無視して、「面接試験」などと称して、一方的に面談を要求してきました。

実は私は5月30日に行われた顕正会の2人の副教学部長、伊東・浅野VS広説寺・妙観講の対論に参加しており、この時に伊東・浅野が大声を上げて勝手に勝鬨をあげ、対論がメチャクチャになったこと(『慧妙』令和元年6月16日号に掲載)を体験していたので、すぐに、小沼が名誉挽回のために、法論と称して喚き立て勝手に勝鬨をあげてくることが予想できました。

そこで、「自分から出してきた約定についての質問なんだから、余計な御託を並べずに責任持って答えよ!」と追及していきましたが、全く答えられない小沼は、悪口に終始し結局、完全に回答不能に陥ったのです。

そのような中で、再び小沼と対峙する日がありました。3月22日夕方、常盤台駅改札付近にて、私が3〜4人の顕正会幹部に取り囲まれていると、そこに小沼が合流してきました。小沼は引き連れてきた顕正会幹部と一緒に、ここぞとばかりに大声で喚き散らし、人差し指を私の目に近づけて威嚇してきました。

私は小沼がここ何ヶ月かの間に、妙観講の東川支部長等との法論において、ニセ本尊について追及され、反論不能に陥ったにも関わらず、総幹部会の発表でも、「妙観講をやり込めた」ような発表をしていたことを知っていたので、「なぜ『ニセ本尊』のことについて発表しなかったの?」と追及すると、「御本尊とニセ本尊のなにが違うんだよ!」と発言し、さらにニセ本尊疑惑について逃げ続けてきた小沼は、周りの幹部にも示しがつかないからか、ついに自ら「ニセ本尊について(法論を)やろうぜ!」と発言したのです。

この時のことが、小沼の3月度男子部班長会の発表として『顕正新聞』(四月十五日号)に載りましたが、一から十までねつ造と歪曲で、あたかも小沼は顕正会のヒーローであるかのように書かれていました。いわく、
「畑中はこの一年間、私との法論を逃げ続けたにも拘(かか)わらず、顕正会員に近づいては、『小沼は法論から逃げた』と粋がって吹聴していた」等と。

私はこのデタラメ話に憤りを感じ、五月三日付で小沼に内容証明郵便を送付し、「これまで継続して妙観講側から追及してきた顕正会のニセ本尊疑惑について小沼が自ら『ニセ本尊についてやろうぜ!』と発言した訳だから、ここで一対一で決着をつけよう」と、真正面から法論を迫りました。

しかし、これに対する小沼からの返答は、『顕正新聞』での威勢のよさとは裏腹に、誠実さのカケラもない短いメール文のみで、それも、「まず君が最初になすべきことは、私に許しを請うことでしょ」とか「子供なら、家でおとなしく勉強でもしていなさい」などと虚勢を張って空いばりし、肝心な法論は避けてしまったのです。

その後も重ねて私は法論を迫りましたが、小沼は揶揄(やゆ)メールを返すだけの逃げの一手に終始していました。この時の内容証明とメールにおけるやりとりは、ホームページ『顕正会からの脱出』に掲載されています。

『慧妙』やホームページにこの醜態を晒されてしまった小沼は、連絡先を知っている法華講員に、手当たり次第、「畑中と2対2の法論を設定してほしい」と懇願しているようですが、私があげている条件はあくまで一対一、そして議題は小沼が自ら発言した、「顕正会のニセ本尊疑惑一択」です。

ちなみに私が内容証明を送付してから、小沼から私のところへは法論要求の連絡は一切来ていません。そして相変わらず「詫びたらやってやるよ」と逃げをうち、さらに「ごめんなさいって一言、言えば君の希望が叶うんだよ。悪いと思ってなくても謝れ」とトンチンカンな発言をしていました。

私は「負け犬の遠吠え」しかすることのできない小沼を不憫に思い、さらにこの様子から、大草講頭と浅井の法論も、浅井が一方的に逃げ続けて、法論など到底実現するはずがない、と思いました。

このように顕正会員を徹底的に折伏する中で、今まで門前払いだった人の中から、話のできる人たちが現れてきました。

Aさんは顕正会の役職にもついており、最初は日達上人、日顕上人の誹謗を繰り返したり、大草講頭が浅井昭衛からの法論要求に逃げている等の大嘘を鵜呑みにして、日蓮正宗のことを敵対視していました。

そこで、日蓮正宗は御遺命破壊などしておらず、むしろ顕正会が血脈付法の御法主上人の御指南に信伏随従できずに独自にニセ本尊を作ってしまって大謗法を犯していることや、大草講頭は昭和63年から浅井昭衛に対し繰り返し対論を要求しており、逃げ続けているのは浅井昭衛であるということを内容証明の証拠付きで見せていくと、「こんなにきちんとした証拠があるとは思わなかった。顕正会の幹部に聞いてみる」と言って、帰っていきました。

その後も何度か電話やメールでやり取りをしていく中で、続けて折伏し、御本尊様に「Aさんが顕正会の誤りに気づいて正法に帰依することができますように」と真剣に祈っていきました。

その最初のやりとりから数ヶ月後、急にAさんから連絡が届き、再び会うことができました。Aさんはこの間に顕正会の幹部に、色々と質問をしたそうですが、納得のいく回答は全くしてもらえず、「そんな質問するなんておかしい!」と逆に怒られたそうです。

そこで、「浅井会長はなぜ大草講頭から逃げ続けているのか?せっかく大草講頭が申し入れをしてきたんだから寄生虫を滅亡させるチャンスじゃないか」というと、「うるさい!お前は浅井先生が間違っているというのか!」と言われ、この日から幹部から嫌がらせを受けるようになり、さらに顕正会の活動を続けていけばいくほど、どんどん経済苦に苛まれていったそうです。

私は、「もし顕正会が正しい団体だったら、そのようになるはずがありません。御授戒を受けて、本当に幸福な人生を築いて行きましょう!」と精一杯お話しました。
また大石寺にもお連れしたところ、その荘厳さに大感激し、さらに有難いことに、理境坊では小川正豪御尊師が折伏してくださり、Aさんも「御尊師のお振舞いは顕正会で教えられてきたこととは全く違う!」と言って、素直に御授戒を受けることができたのです。
私は本当に有り難く、御本尊様に御礼申し上げました。さらにこの他にも、2名の方が顕正会から脱会することができたのです。

このように顕正会員をはじめ、身の回りの方々を1人でも折伏しようと実践してくる中、私自身も功徳を頂戴しました。私は大学に通いながら、塾でアルバイトをしていますが、コロナウイルス蔓延によって緊急事態宣言が発令され、塾業界も休業しなければならなくなりました。

しかし、いち早く映像での授業を行なっていた私の塾では、あまり影響を受けることもなく、さらにここ最近では多くの生徒や保護者から好評の声をいただき、「畑中先生に教えてほしい!」と指名してくれる生徒も多くなり、むしろ緊急事態宣言発令前よりも、多くの収入を得ることができたのです。

さらに大学では昨年よりも格段に高い成績をとることができました。これは今まで顕正会員を折伏し続けてきて、幹部に散々悪口を言われてきたことによって、罪障消滅が叶ったからだと思い、御本尊様に御礼申し上げました。

今回、顕正会員を折伏してくる中で、洗脳されきった幹部が本当に可哀想であると思った一方で、大聖人様の仏法を求めながらも、何も知らずに、ただ浅井の言う事に騙されてしまっている人たちが多くいることがわかりました。これからも、そんな可哀想な顕正会員を1人でも多く折伏して、多くの方々と共に正しい信心ができるように精進してまいります。