『顕正新聞』(六月二十五日号)において、またまた顕正会法務部次長・菅原克仁が、『慧妙』(六月十六日号)報道の「浅井昭衛が抱く危険思想」を否定せんとして、反論を企てている。
この菅原の主張については、すでに本紙前号でその大筋を砕いてあるので、ここでは補足として、もう一点を挙げておこう。
菅原は、浅井昭衛が自著『立正安国論謹講』の中で、涅槃経の
「護法の優婆塞(うばそく)等は、応(まさ)に刀杖を執持(しゅうじ)して擁護(おうご)すること是くの如くなるべし。……刀杖を持(たも)つと雖(いえど)も、命を断ずべからず」
の文の通釈として、
「正法を護ろうとする在家の信徒は、まさに刀杖を身に帯し、有徳王のごとく正法を擁護しなくてはいけない。……ただし、刀杖を持つといっても、あくまで護法のための防衛のためであって、決して軽々しく相手の命を奪ってはならない」
と書いていることをもって、浅井が防衛以外の武器の所持を明確に禁じている、としているが、これは全くのゴマカシである。
というのは、右の浅井の文は、単に涅槃経の一節を現代語に通解したものであって、浅井自身が「明確に指導下されている」箇処などではない。浅井自身の〝指導〟が示される箇処は、「本文」「通釈」「語訳」の後に述べられる「講義」であって、ここに浅井の持つ主義・主張が展開されるのである。
その「講義」を見てみると、浅井は、この大事な専守防衛ともいうべき仏法の精神について、ただの一言も触れていない。それは何故か―、それを明らめるには、かつての浅井昭衛自身の異常な言動を知る必要がある。
昭和四十七年春、当時、池田創価学会が、同年十月に完成する正本堂を広宣流布の暁の事相の戒壇にしてしまいたい、との願望を捨てきれず、顕正会(当時は妙縁寺に所属する妙信講)では、それを、大聖人の御遺命を破壊するものであり、日蓮正宗宗門も学会に操られているとして(実際はそのようなことはなかったのだが)、激しく批判していた。
浅井の言う護法とは積極的な武力行使 それを明言した脅迫状を後から改竄!
そのような中、浅井昭衛(当時は妙信講本部長)は日蓮正宗宗務院と時の御法主・六十六世日達上人に対し、次のような書面を送り付けた。
「あえて違法を強行するとならば(中略)妙信講は非常手段をもってしても、断じて御遺命を護り奉る。(中略)只々在家の本分に殉(じゅん)ずるのみであります。さればその時、妙信講も斃(たお)るべし、同時に猊下の御本意を覆う学会の暗雲もなし、阿諛(あゆ)の御当局も除かる。」(六月二十二日付)
「男子精鋭二千の憤りは抑えがたく、仏法守護の刀杖を帯びるに至りました。もし妙信講一死を賭(と)して立つの時、流血の惨を見ること必至であります。この時、一国は震撼(しんかん)として始めて御本仏の御遺命を知り、宗務当局また始めて御遺命に背くの恐ろしさ、正直の講中を欺(あざむ)くの深刻さをはだえに感じ、ここに誑惑(おうわく)は一挙に破れ、仏法の正義は輝くものと確信いたします。この時、妙信講も斃(たお)れ、同時に学会の暗雲もなく、宗務当局の奸策(かんさく)もなし。」(六月三十日付・傍点編集部)
「この上は、大事出来(しゅったい)して一国の耳目(じもく)驚動(きょうどう)の時、公廷において厳たる証拠と道理を示し、一国に正義を明かすの他なく、その時はじめて彼等の誑計(おうけい)一時に破れ(中略)その時、小輩等早く霊山(りょうぜん)に詣(もう)で、宗開両祖の御尊前にて、『聖人展』の違法・『正本堂の誑惑』さし切りて言上。」(七月四日付)
つまり、〝自分達の主張を受け入れず、このまま正本堂落慶法要を強行することは御遺命の破壊であるから、武器を持った妙信講の男子精鋭二千名が仏法を守護すべく、流血の惨事となるのを覚悟でこれを阻止する。その時は自分達も死ぬが、学会・宗務院も道連れだ〟というのであり、これはまさに脅迫状である(この時は日達上人の御苦心によって最悪の事態は回避できたが)。
この内容を見れば、浅井の言う「護法」「仏法守護」がいかなることか、誰の目にも明らかであろう。それは、謗法者の暴力から正法正師を守るための専守防衛などではなく、自分の教義解釈が受け入れられぬ状況を覆(くつがえ)すための積極的な武力行使であり、それを浅井は「仏法守護」「護法」と呼んでいるのだ。
これこそ、浅井昭衛が『立正安国論謹講』の中ではボカしていた本音であり、かかる脅迫状を送っていた事実こそ、浅井が武器使用を肯定する危険思想の持ち主である、という否定することのできぬ現証である(この二年後、武器こそ持っていなかったが、妙信講の男子部七十名が創価学会本部を襲撃し、大乱闘のあげく、逮捕者十二名を出す事件も起きている)。
菅原よ、汝(なんじ)が生まれる前の事とはいえ、顕正会のお抱え弁護士として、この脅迫状送付の事実を知らぬはずがあるまい。あるいは、傍点を付けた箇処の文を消して改竄された文面しか見ていないのかも知れぬが(浅井の書いた『御遺命守護の戦い』では、みごとに傍点箇処を消して、言い逃がれができるように改竄されている)、それならそれで、浅井に誑(たばか)られていた自らの愚迷(ぐめい)を恥じよ。
いずれにせよ、この浅井の脅迫状をどう会通(えつう)しても、浅井が防衛以外の武器の使用を禁じていた、などと言えないことは子供にでもわかる事実だ。
菅原よ、如何(いかん)とす!?(『慧妙』令和2年7月16日号より転載)