資料集

嘘に嘘を重ねた顕正会の宗門誹謗 日顯上人の御臨終を事実無根のデマで冒涜!

「伝聞の又聞き」を根拠に「悪臨終」と罵言(めり)
浅井昭衛と、後生の堕地獄を恐れよ!

誹謗発言の出処のいい加減さに唖然
〝町で会った還俗僧が宗門僧から聞いた話〟!?

またも顕正会が、嘘で固めた、日顯上人への許しがたい誹謗を発表した。
というのは、去る五月二十四日に行なった五月度総幹部会の席上、浅沼雅美なる婦人部副長の活動報告の中で、某還俗(げんぞく)僧からの情報として、日顯上人の御臨終の相について事実無根の謗言(ぼうげん)を並べ、それを受けて浅井昭衛が「これまで詳しく聞いたことがなかった」と驚いてみせるという、いつもながらの茶番で話を展開したもの。

浅沼の発表の概要というのは、浅沼が、通りすがりで知り合った壮年(二十歳で還俗した元僧侶だという)に向かって〝日達上人の臨終の相が恐ろしいものだったので日顕上人も悪臨終だと思う〟と話したところ、その壮年が、友人である宗門僧侶から聞いた話として、日顯上人の御臨終の相について

「その相は、色黒く、恐ろしい形相で、部屋中に悪臭が漂っていた。本来、宗門では死化粧をしないものだが、あまりに色が黒かったので死化粧をするしかなかった。しかし、何度塗っても白くならず、最後は厚塗りして、何とか白くした」
と教えてくれた、という。そして浅沼は、

「私はその話を聞いた瞬間、これまで宗門関係者がひた隠しにしてきた阿部日顕(上人)の悪臨終についての、生々しい証言を聞いた衝撃と、何度も厚塗りしても白くならないほど黒かった、その悪相に、身震いを禁じ得ませんでした」

と言い、これが国立戒壇を怨嫉(おんしつ)した大罰である、などと結論づけたのである。
あまりの内容の酷さ、デタラメぶりに、身体が震える程の怒りを覚えるが、当日の総幹部会の動画を見ると、この謗言を真に受け、頷いている会員が多数いる様子なので、その人々の目を覚まさせるためにも、ここで断固粉砕しておくものである。

その内容が嘘であるというこれだけの根拠
御遷化から御納棺までの様子は全て明らか

まず浅沼は、日達上人の御臨終の相について誹謗しているが、日達上人が色白にして半眼半口の妙相であられたことは、じつに多数の証言を挙げて証明済み(本紙六二三号、六二五号)なので、重ねて述べることはしない。まだ読んでいない方は改めて確認していただきたい。

浅沼が続いて挙げた、通りすがりの壮年(還俗した元僧侶)が友人である宗門僧侶から聞いた、日顯上人の御臨終の相に関する話というのは、結局、氏名不詳の人間が氏名不詳の友人から聞いた、「伝聞の又聞き」という形である。

そもそも、裁判においても、氏名を明かせない者の証言は証拠価値ゼロとして扱われるが、それを二重に重ねた「伝聞の又聞き」では、信じる方が馬鹿だと言われても仕方がない。

こんな話を総幹部会の場で発表させ、さらに動画や新聞を使って拡散させ、宗門誹謗に利用していく顕正会の悪辣さ、デタラメぶりには、さすがの創価学会でも唖然とするのではあるまいか。

次に、その「伝聞の又聞き」の内容であるが、当時の事情を知る人々が見れば、すぐにデタラメとわかる酷いものである。以下、事実と照らしつつ破折する。

まず、日顯上人が御遷化(ごせんげ)あそばされたのは令和元年九月二十日午前七時三十分、世田谷区の大石寺・中町出張所においてであった。そして、上人の御尊体を大石寺蓮葉庵へと御移送申し上げるべく、中町出張所を出発されたのが同日午後八時過ぎ。この間の模様については、上人の御令孫にあたる広説寺住職・阿部正教御尊師が

「御尊体への死化粧など皆無、紅一つ、お塗り申し上げておりません。俗に言う湯灌(ゆかん)師による湯灌もしておりません。かつまた半眼半口にして、兜羅綿(とろめん)のごとく」
と述べておられ、また、葬儀社として、御遷化直後から蓮葉庵まで御供をした了性坊信徒・能登弘司氏が

「日顯上人の御尊体は、お頭とお鬚(ひげ)を遺族と奥番の方が剃られたのみの状態で、ドライアイスなども一切用いることなく、御遷化された時のままのお姿でお移しする、という事になりました。
これについて、異流義の輩が、日顯上人の御尊体に死化粧が施されていた、などと見てきたような悪口を吹聴していますが、それは全くの事実無根であり、荼毘に付されるまでの御尊体の美しい色白のお肌は、御遷化の時のままであられた、ということを断言しておきます」
と証言されている(いずれも暁鐘編集室発行『寂光』より)通りである。

しかして、この中町出張所における約十二時間、そこには御身内はじめ限られた御僧侶はおられたが、件(くだん)の還俗僧の「友人の宗門僧侶」など、立ち入る余地もなかったのである。
いったい、どこで〝悪臨終の相を見た〟というのか。

次に、日顯上人の御尊体は、午後十時過ぎに大石寺蓮葉庵に到着された後、大勢の御僧侶方の見守る中、布団に御安置され、直ちに御法主日如上人猊下大導師のもと御枕経が執行された。そして、引き続いて多数の御僧侶により、読経・唱題が途切れることなく続き、翌二十一日の午後二時四十分に御納棺となったのだが、この間、延べ数百人もの御僧侶方が代わる代わる詰めている中で、死化粧を塗っただとか、部屋中に悪臭が漂っていた、などという場面を目撃・経験した方は一人もいない。

それなのに、「友人の宗門僧侶」だけは全く違う経験をした、というのであれば、この還俗僧は精神科の病院で診察を受けた方がよい。こんな与太話を頭から信じてしまうような連中も同類である。

五千人超が拝見した日顯上人の御尊顔
半眼半口の笑みを含まれた妙相に感激

さて、御納棺された日顯上人の御尊体は、蓮葉庵から客殿へと御遷座され、二十四日の御荼毘までの間、登山した全ての御僧侶および信徒が間近で御尊顔を拝して御別れすることを許された。その数、じつに五千人超―。

もし、浅沼の言うような「恐ろしい形相で、あまりに色が黒く、何度塗っても白くならず、最後は厚塗りして、何とか白くした」というような状態であったなら、間近で拝して分からぬはずがない。

参列者は、御生前よりも色白の、半眼半口で、口元には笑みを含ませられるがごとき、日顯上人の素晴らしい妙相を拝して感激にむせんだのである。
ゆえに、今回のように、いくら顕正会が口を極めて謗言を吐いたとて、真実をありのままに拝見した僧俗が動揺することはありえない。かかる謗言に乗せられ、ますます浅井顕正会に傾倒していくのは、六根の破壊された会員のみである。

最後に、『法華経観世音菩薩普門品』には「還著於本人」の理が説かれているが、信憑性ゼロの悪質なデマを使い、血脈付法の日顯上人を貶めようと謀った浅井昭衛は、自らの臨終の相こそがかくなるであろうことを、心より恐れるべきである。

日蓮大聖人の曰く、
「詮ずるところ、上品(じょうぼん)の一闡提人(いっせんだいにん)になりぬれば、順次生に必ず無間獄に堕つべきゆへに現罰なし」
(御書五七一頁)
「人は臨終の時、地獄に墮つる者は黒色となる上、其の身重き事千引(ちびき)の石(いわ)の如し」
(御書一二九〇頁)
と。いくら言って聞かせても目の覚めぬ顕正会員は、これらの御金言を心に刻み、遠からず訪れる浅井昭衛の臨終に照らしてみるがよい。仏法の裁きの厳しさに震えるであろう。

(『慧妙』令和5年6月16日号より転載)