資料集

謗法の何たるかも解らない低劣な顕正会狂学!? 教学研鑽所を誹謗する『顕正新聞』の愚

他門流からの資糧収集で御書も編纂なる
貶(けな)す顕正会は歴代上人も誹謗したも同然!

真の「謗法厳戒」が理解できぬ『顕正新聞』

顕正会の機関紙『顕正新聞』は、三月五日号・十五日号の二号連続で、「身延派と誼(よしみ)を通じる宗門の腐敗堕落」「謗法僧らと交歓する宗門の悍(おぞ)ましき実態」との見出しを打ち、あたかも宗門御僧侶が謗法厳誡の宗是を破って邪宗僧侶と親交を重ねているかのごとく印象づけている。

しかして、その記事の大半は、〝日蓮正宗教学研鑽所に所属する僧侶達が、立正大学・身延山大学・日蓮宗が主催する教学研究発表大会や、創価大学で行なわれた日本宗教学会学術大会のほか、様々な学術学会・大学が主催する学術大会で、邪宗謗法の徒に混じって研究発表していた〟として、その一々の開催日時を列挙。これを、「『謗法と同座すべからず、与同罪を恐るべき事』の遺誡に背(そむ)く堕落」とか「宗門の腐敗堕落を如実に表している」などと、口汚なく罵(ののし)っているのである。

だが、こうした教学研鑚所の御僧侶方の、他宗も交じる開かれた場所での研究発表は、けっして〝腐敗堕落〟などと呼ばれる筋合いのものではない。

現に、本宗では古くから、必要に応じての他宗との学問上の交渉はあった。それによって、散在していた諸資料を集めて『日蓮大聖人御書』として纏(まと)めることもできたし、邪義を破して本宗の正義(しょうぎ)を顕揚することもできたのである。

たとえば、明治元年まで、上総国山辺郡細草村(現在の千葉県大綱白里市)に「細草檀林(ほそくさだんりん)」という檀林(僧が集まって学問をする場)があった。この細草檀林は、寛永十九年(一六四二年)六月三日、富士派(日興上人の門流)と八品派(日隆門流)が合同で設置したもので、多くの本宗僧侶が、八品派の僧らと共に勉学に励んだ。なお、当初は八品派から出ることの多かった能化(現・学長職)も、二十二世日俊上人の頃よりは、本宗側からも多くの能化を輩出し、その中には本宗中興の祖である二十六世日寛上人も含まれているのである。

また、近い過去では、碩学(せきがく)で名高い第五十九世堀日亨上人は、立正大学で身延離山史を講義され、日蓮門下全般にわたる同大学の『日蓮宗宗学全書』の編纂に協力し、その第二・四巻(興尊全集・興門集、日蓮正宗部)を編纂されている。

もちろん、前述したように、こうした交流を通じて、他宗の邪を破し本宗の正義を顕揚する糧(かて)が積み上げられてきたことは、いまさら述べるまでもない。

だが、『顕正新聞』の論法でいけば、細草檀林で本宗僧侶が八品派の僧らと共に勉学したことや、そこで日寛上人や御歴代上人が教鞭を執られたこと、あるいは『日蓮宗宗学全書』の編纂に協力した日亨上人に対しても、「身延と同業者意識で誼(よしみ)を通じる宗門の禿人(とくにん)どもの度し難い無道心」とか「『謗法と同座すべからず、与同罪を恐るべき事』の遺誡に背く堕落」とか「宗門の腐敗堕落を如実に表している」などと口汚なく罵倒(ばとう)せねばならないことになる。それでは、盗っ人猛々しく〝冨士大石寺〟を名乗る、顕正会自らの存在基盤をも失うことになるが、さて、どうする顕正会。

一宗の始めから時代性で変わってきた規律

さて、宗門草創の時代に日興上人が著された『日興遺誡置文』には
「其の器にして一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣づべけんや」
(御書一八八四頁)
とか
「謗法と同座すべからず、与同罪を恐るべき事」
(御書一八八五頁)
等として、謗法の神社仏閣へ行くこと自体を固く禁じられている。

しかし、それから時代が経過して、本宗の僧俗に謗法厳誡の精神が徹底されてきた頃に著された第九世日有上人の『化儀抄』には、ある程度、緩和されて、
「他宗の神社に参詣し、一礼もなし、散供をも参らする時は、謗法の人の勧請に同ずるが故に謗法の人なり。(中略)但し物見遊山(ものみゆさん)なんどには神社へ参らせん事禁ずべからず。誠に信を取らば謗法の人に与同する失あり云云」(聖典一二一八頁)
とされている。

つまり、〝謗法の寺社に行って参詣すれば謗法同座となるが、見学に行くことまで禁ずるものではない。信を持っていなければ謗法に与同することになるが、固い信心を持っているならば、謗法に引きずられるようなことにはならないからである〟ということを示されている。

さらに、『日興上人遺誡置文』に戻ると、
「当門流に於ては御抄を心肝に染め極理(ごくり)を師伝して若し間(いとま)有らば台家を聞くべき事」
(御書一八八四頁)
とも仰せられていて、日蓮大聖人の法門をしっかりと学んだ上で、天台等の教学を学びなさい、と仰せられている。

日蓮正宗の御僧侶方、なかんずく教学研鑚所の御僧侶方は、大聖人の御法門を研鑽し心肝に染められている。その上で、さらに見識を深めて本宗の正義顕揚に資するべく、天台や他宗他門の教義等を含めての研究も進められているのである。それのどこが、謗法与同に当たるというのか。

『御書』も持たず、何とかの一つ覚えで「三大秘法抄」の一節だけを得意げに振りかざすしか能のない顕正会員には、「御抄を心肝に染め極理を師伝して若し間(いとま)有らば台家を聞くべき事」などというのは、夢にも及ばぬ境遇であろうが。

正義顕揚のため不可欠な教学研鑽所の活動

一知半解の『顕正新聞』が犯した愚を窘(たしな)めるのはこれくらいにして、『顕正新聞』の戯(ざ)れ言に振り回されることがなきよう、日蓮正宗教学研鑽所の活動内容と、「日本宗教学会」の規定や学術大会の実際について、述べておこう。

日蓮正宗教学研鑽所は、「本宗伝統法義の護持宣揚、教学の振興及び布教の進展に必要な研鑽を行ない、宗門の興隆発展に寄与する」ことを目的として、平成二十四年三月に設立された。

当然のことながら、発表される内容は全て、日蓮正宗の教義に則(のっと)った上での学術行為であり、他宗他門の会場で発表するからといって、他宗他門に阿(おもね)った発表をしているわけではない。

すなわち、教学研鑽所の所員である御僧侶方が、聴衆たる邪宗謗法の徒を前にして研究発表を行なうということは、「謗法与同」どころか、邪宗謗法の徒に向けて堂々と正義を顕揚されているのであり、まさにそれこそ教学研鑽所が掲げる「本宗伝統法義の護持宣揚」に他ならない。

その一方、学術大会の場においては、他宗他門の研究者も最新の研究成果を発表するのであるから、教学研鑽所の御僧侶方にとってそれは、「布教の進展に必要な」破折対象の資料が入手できる場、ということでもある。

なお、ことわっておくが、学術大会で発表を行なう際は、登壇者だからといって、最初から最後まで会場にいなければならないわけではない。自身の発表の直前に会場入りして、発表直後に退出することもできるのである。よって、教学研鑽所の御僧侶方は、必要な時だけ会場入りしているのであって、もちろん宗教的行事に参列しているわけではない。

なおまた、『顕正新聞』は、横山雄玉御尊師が発表に登壇した際、所属が「佛教大」となっていることに目を付け、「佛教大学の関係者の肩書きで活動」などと謗(そし)っている。

しかし、「日本宗教学会」で論文を発表するには普通会員にならなければならず、普通会員になるためには、大学卒業以上(学士・修士・博士)で、さらに会員二名(うち一名は教員)の紹介および理事会の承認が必要である。

こうした中で、横山御尊師は佛教大学大学院・文学研究科歴史学専攻博士課程(通信制)に籍を置いて「日本宗教学会」に加入している、ゆえに発表の際の所属が「佛教大学」とされている、というだけの話である。

同様に、他の御尊師方も、他宗に関わりのある大学を出られているが、それとても、仏教学にかかる博士課程がある大学で学ぶ必要があるからである。なんら顕正会から難癖を付けられるような話ではない。

そうした事情も知らず、また実際に〝交歓〟する様子を目撃したわけでもないくせに、「かような仏敵どもと平然と交流」とか、「『天台沙門・日昭』などと名乗り、念仏・真言の邪法の僧らと肩を並べて祈祷(きとう)していた五老僧のそれを彷彿(ほうふつ)」云々などと悪口雑言を並べ立てている『顕正新聞』の幼児性には呆れ果てるしかない。

最後に、『顕正新聞』の記事をご覧になった日蓮正宗教学研鑽所の御僧侶方が、
「研究発表の内容について云々するならいざ知らず、内容も事情も歴史も知らない門外漢が、上辺だけの中傷をするのは笑止千万!」
と笑い飛ばしていたことを付記しておこう。

『慧妙』令和5年4月16日号より転載