資料集

「浅井昭衛の死化粧を確認したのは誰か!?」

その質問に対する本紙としての公式回答

本紙前号において、顕正会会長・浅井昭衛の臨終の相につき、
「浅井昭衛の遺体は、半眼半口どころか、目も口もしっかりと閉じており、その顔には粉っぽい白い死化粧が施(ほどこ)されていた。そして、きつく横一文字に結ばれ、紫色に変色したクチビルには、赤い口紅が塗られたものの、その下の地色が浮かび出て、ドギツイ赤紫色となっていた。しかも、クチビルの処々に黒ずんだ箇所も見えた―。

これは、遠目には、それほど悪い相に見えないように処理が施されていたものの、至近距離で観察すれば明らかにわかる悪臨終の相である(以上には、もちろん証人も証拠もある)」
と報じたことが、顕正会員に衝撃を与えている。

もともと浅井の臨終に不審を感じていたためか、概(おおむ)ねの会員は静まり返っているが、本紙報道について「証人の名前を明かせ」「本当に証人や証拠があるのか」と質問を投げかけてくる、勇気ある(?)会員もいる。
そこで、本紙として、これらの質問に答えておこう。

顕正会では半年前から、第六十七世日顯上人の御臨終の相について「酷(ひど)い形相だった」「真っ黒だったので、厚塗りの死化粧を施して、ようやく白くした」「部屋中に悪臭が漂(ただよ)っていた」等と、事実無根の誹謗(ひぼう)を大々的に繰り返してきた。

これに対し本紙等が、「そのような事実はない。こちらには六千人からの証人がいる。それでも厚塗りの死化粧をした、というのなら、それを見たという証人を出してみよ」と繰り返し責めてきたが、今に至るまで、その証人とやらは出せずじまいである。

そこで、まず顕正会として、日顯上人の御遺体に厚塗りの死化粧をしたのを見た、という「日蓮正宗僧侶」の名前を明かせ。さすれば、本紙としても、浅井昭衛の死相を確認した「証人」と死化粧の「証拠」を明かすであろう。

また、もし顕正会が、その厚塗り死化粧を見たなどという証人は実在しなかった、と潔く認めた場合も、こちらの「証人」「証拠」を明かすであろう。

浅井昭衛の名代だという城衛よ、また昭衛の番犬だった教学部よ、これに異存はあるまいな。

重ねていう、正々堂々と証人を出してみよ。この期に及んでダンマリを続けるなら、日顯上人誹謗が大嘘であったこと、そして浅井昭衛が悪臨終であったことを、顕正会として認めたことになる。如何。

(『慧妙』令和5年11月16日号より転載)