元顕正会員の体験談

顕正会では不幸が増すばかりだった!法華講でこそ得られた功徳の人生

恰好の勧誘相手にされた私 しつこい訪問に屈し顕正会に

横山裕一さん

私は、平成二十一年に顕正会に入会してしまいました。
当時の私は、山沿いにある実家で一人暮らしをしていました。
すでに両親は亡くなり、私と双子の弟は、五十代後半に難病の多系統萎縮(いしゅく)症を発症し、寝たきりとなって病院に入院しており、私自身もまた、糖尿病の悩みを抱えておりました。

そのような時に顕正会員の訪問を受けたのですが、その女性会員は、初めは自分が顕正会であることを名乗らず、当たり障(さわ)りのない挨拶(あいさつ)程度で帰っていきました。

しかし、健康に問題がありそうで部屋も散らかり放題の私の生活ぶりを見て、恰好の勧誘相手だと思ったのでしょう、次には、三十歳代の女子部員と二人で訪ねてきて、唐突に、「顕正会館に行かないか」と誘ってきました。
私は、顕正会というものが何かもよくわからず、断わりました。すると、三回目の訪問では『顕正新聞』を持ってきて、「顕正会に入れば病気が治る!」と得々と語り、説得してきました。
それも断わると、四回目は、さらにもう一人の顕正会班長を連れて三人でやってきて、しつこく「会館へ行こう」と迫ってきました。
そこで私は、あまりのしつこさと、「弟の病気や自分の病気が良くなるかもしれない」との淡(あわ)い期待で、とうとう新潟会館に行って、〝入信勤行〟を受けてしまったのです。
その後、「これから毎週、日曜勤行があるから、家まで迎えに行く」と言われ、強引に約束させられました。
最初はしぶしぶ車に同乗して会館へ行き、日曜勤行に参加していましたが、それを何度か繰り返しているうちに、自分で車を運転して片道三十分ほどの距離を走り、会館へ行くようになってしまいました。

言われるがまま顕正会の深みに
悪くなる一方の病状と生活

会館での日曜勤行のあとは、浅井昭衛会長の指導をビデオ放映で聞いたり、『顕正新聞』の読み合わせをするのですが、その内容は、いつも、「中国が攻めてくる」とか「地震がくる」とか、そんな突拍子もない話ばかりでした。

そして、それが終わると、班長から、親戚や同級生など周囲の知人宅を紹介するよう強く迫られ、断わりきれなかった私は、車に乗せられて、班長たちと一緒に自分の親戚や同級生の家を訪ねました。訪問した先では、満足な挨拶もできないまま、班長が一方的に顕正会の話をして、新聞を渡してきました。

また、病院にいる弟には、幹部が持ってきた本尊を弟の病室(個室)に懸けて、弟にも〝入信勤行〟をさせてしまいました。
そんな非常識な行ないに、親戚や知人は皆、驚いて、「宗教にのめり込まない方がいい」とか「なんで、そんなことを始めたんだ」と非難してきました。
しかし、〝朱に交われば赤くなる〟の格言どおり、私の顕正会活動は、幹部から言われるまま、どんどんエスカレートしていきました。

たとえば、班長は、勧誘活動で配る『顕正新聞』が手元に無くなった時、「次は、横山さんの番ですから、購入をお願いします」と言い、いつから順番が決まったのか知りませんが、毎月余計に『顕正新聞』を買わされるようになりました。
さらにまた、年末の〝広布御供養〟と称する献金にも、「いちおう、一万円から八万円だけど、八万円出す方が功徳が大きい」と唆(そそのか)され、八万円の献金をしてしまいました。

今振り返ると、知らず知らずとはいえ、こうして異流義の謗法団体に毒されていく中で、私の感覚はどんどんおかしくなっていったのです。
たとえば、車の運転が荒くなって事故を起こしそうになったり、また、走行中に、信号機のない交差点の真ん中で訳もなく停車して、後続の車にクラクションを鳴らされたり……と、おかしな行動が日常的に起きるようになりました。

もちろん、弟の容態が良くなるわけでもないし、私自身の糖尿病は、良くなるどころか悪化するばかりで、夜も眠れなくなり、家はますます荒れて、ネズミが徘徊(はいかい)するほどになっていました。

法華講員からの折伏で全て納得
顕正会とは大違いの信心の喜び

そのような頃の平成二十三年十一月、自宅の電話が鳴り、出てみると、法華講員の榎本さんからで、「横山さんのお宅は創価学会ですか?」と尋ねられました。あとで知ったことですが、榎本さんは、創価学会員を折伏するために学会員探しの電話かけをしていたのです。そんなこととは知らず、私は榎本さんの問いに、「いいえ、俺は顕正会です」と答えました。

すると、榎本さんは最初びっくりしたようですが、「そうですか。ぜひ、話を聞きたいのですが」と言ってきました。私は私で、「これは勧誘のチャンスだ!」と思い、待ち合わせをして、一人で出かけていきました。

そして、榎本さんと面談したところ、榎本さんから、「顕正会は〝冨士大石寺〟を名乗っているけれど、その大石寺から破門された、謗法団体であること」「本当の正しい日蓮大聖人の教えは、日蓮正宗大石寺にしかないこと」等を聞かされ、「すぐに大謗法団体の顕正会をやめた方がいい」と折伏されました。

私は、初めて聞く話に大変驚いたのですが、榎本さんから、「自分の目で見て体験してほしいので、次の日曜日、こちらの唱題会に来ませんか」と誘われ、行ってみることにしました。

そして、次の日曜日、顕正会の日曜勤行には行かず、法華講員さんのお宅で行なわれた唱題会に行きました。その時、初めて本物の御本尊様の御前で皆さんと一緒に勤行・唱題をしたところ、気持ちがスッキリするのを感じました。
唱題後、改めて折伏を受けたのですが、私の気持ちは固まり、そのまま地元の正宗寺院へ行き、御授戒を受けることができました。

その後、講中の活動に参加する中、見るもの聞くものが、それまでとは全く違い、顕正会では教えてもらえなかった本当の日蓮大聖人の教えに感激し、それからは毎日の勤行に励み、また会合に参加して、実のある内容や、地に足の着いた体験談を伺い、仏法を学ぶことが楽しくなりました。顕正会では絶対に味わえなかった喜びです。

感動した総本山大石寺の荘厳さ
そして身に体験した功徳の実証

それから間もなくして、有り難くも総本山大石寺の元朝勤行に参詣する機会を得ました。初めての大石寺登山です。
大石寺に到着すると、目の前の荘厳で壮麗な総本山の趣(おもむ)きに圧倒され、本当に感動し、「大石寺こそ本物だ! 顕正会は、本当に間違っていた!」と心から確信することができました。

その総本山参詣から戻った数日後、同じ顕正会員だった白井さんが、最近私が会館に行っていないことを心配して、我が家を訪ねてこられました。
そこで、さっそく白井さんに、元朝勤行の時にいただいた正宗寺院のカレンダーの写真を見せながら、「ここが本物なんだよ。顕正会は、日蓮正宗から破門された、間違った宗教で、日蓮正宗大石寺こそが本物なんだよ! 俺は、顕正会をやめて日蓮正宗に入った。白井さんも正しい方の話を聞いてみたほうがいいよ」と話しました。

すると、白井さんは目をまん丸にしながらも私の話を聞いてくれ、最近、大工の仕事が全く入らなくて困っていることや、顕正会の勧誘活動にうんざりしていることを吐露(とろ)してきたので、講中の先輩に会ってもらう約束をしました。

そして後日、先輩のもとに白井さんを連れていって折伏したところ、白井さんも納得して御授戒を受けることができたのです。平成二十四年一月のことでした。
それからは白井さんとお互いに支え合って信仰を深め、それまで作ってしまった謗法罪を心から御本尊様に懺悔(さんげ)して、かつて顕正会に誘ってしまった家族や親戚、友人、知人を折伏しました。

そのように法華講で信仰してくる中で、二人とも御本尊様より、功徳をいただきました。
私は、新潟市内に売家を見つけて、自分の希望条件に合致した新居を得ることができました。

また、不眠症については、適切な治療を受けられるようになって、劇的に改善しました。
さらに、糖尿病の検査入院の時に、たまたま先生から胃カメラを勧められて検査したところ、ごく初期の食道ガンが発見され、大学病院で内視鏡で切除手術を受け、大事に至らずに済みました。

一方の白井さんですが、顕正会時代の白井さんは仕事がなくて困っていたのですが、入信四ヵ月目に初めて総本山大石寺に参詣したところ、総本山に滞在中に携帯電話が鳴り、なんと突然、仕事の依頼が入ったのです。白井さんも私も本当に驚いて、登山参詣の功徳に感激し、共に喜び合いました。

白井さんは、その後も、途切れることなく仕事が入ってきて、今では、顕正会時代からは考えられないほど、経済的に安定した生活を送れるようになりました。
このように、私と白井さんは、日蓮正宗に入信することができ、本当に救われたのです。
もしあのまま、折伏されずに顕正会に居続けていたら、人生はメチャメチャになり、地獄のような苦しみに堕ちていたことでしょう。

これらの体験を、いまだ知らずに浅井昭衛に騙(だま)され盲従している顕正会の人たちに話し、一人でも多くの顕正会員を救っていけるように、精いっぱい折伏に励んでまいります。
(『慧妙』令和4年11月1日号より転載)