元顕正会員の体験談

顕正会の異常な体質に辟易した日々 法華講にこそあった本物の信心と功徳

安寧を求めて入会したものの・・・

杉山さん

絶句した顕正会の異常な感覚

今から二十七年前の平成七年、その年は日本だけでなく世界をも震撼させた阪神淡路大震災が起こりました。私は、直接被災したわけではありませんが、映像や写真に映し出される、そのあまりにも衝撃的かつ悲惨な様相に、不安で胸が押し潰されそうになっていました。

ちょうどその頃、妻の口から、「じつは少し前から、ある信心を始めている」と打ち明けられました。それは〝顕正会〟なる宗教団体で、そこでは日蓮大聖人の仏法の教えを広めるために活動している、ということでした。妻は、友人からの誘いで入会し、まだ顕正会の教えに半信半疑だった時、自分の身の上にご利益めいたことが起こったことから、信ずるようになったといいます。

私は、元来、宗教や信仰というものに対して嫌悪感しか抱いていなかったのですが、先の阪神淡路大震災から受けた精神的ダメージで極度にナーバスになっており、もし今後、自分のいる地域であのような大地震が起こったら、助かる保証はどこにもないと、何かにすがりたくなる気持ちが強くなっていたように思います。

その後、顕正会で妻の班長だった女性が我が家に来て、話を聞かされた私は、あれよあれよという間に顕正会に入会することになってしまったのです。

当時の顕正会では、会長の浅井昭衛が、「あと十数年でこの仏法が国中に広まらないと、大戦争が起きて日本は滅亡する」などと、終末論めいた言葉をかざして、「だから、我々は一刻も早く、広宣流布を急がねばならない」と、会員達を扇動していました。

私は心の安らぎを求めて信仰についたつもりだったのに、浅井の口から語られる言葉で強く耳に残っているのは、「まもなく大地震が起こる」「他国侵逼難(たこくしんぴつなん)が起こって、中国・北朝鮮が攻めてくる」という類の不安を煽る文言ばかりです。そして、ふたこと目には、実態のよく分からない「国立戒壇」がどうしたこうした、という決まり文句が続くのですが、そういう浅井の演説を聴いても、私に心の平安が訪れることはありませんでした。

ある時、こんなことがありました。板橋区常盤台の当時の本部会館(現・東京会館)近くで、数人の女性会員が空を指差して歓声(!?)を上げていました。何が見えるのか気になって尋ねてみると、女性たちは、「あそこに地震雲が出てるんです~!」「すごいよね~、浅井センセーの予言どおりだね~!」などと口々に叫びながら盛り上がっているのです。

私は、耳を疑い、絶句してしまいました。いくら浅井の予言にあったとしても、地震が来るかもしれないことに狂喜するなんて、その心情がまるで理解できなかったのです。この人達は大丈夫なのかと、その奇異な振る舞いに戦慄(せんりつ)さえ覚えましたが、今にして思えば、じつはそれが顕正会・浅井に洗脳された人たちの当たり前の姿だったのです。

ちなみに、その後も大地震は起こらず、浅井の予言が外れたことは言うまでもありません。
そんなこともあり、私は、入会はしてみたものの、カルト臭さと全体主義的な雰囲気の漂う顕正会の体質になじめず、座談会には何かと理由をつけて参加せず、毎回同じような内容の話を聞かされるビデオ上映からも足が遠のいていきました。

しかし、かろうじて日曜勤行なるものだけには、毎週参加するようにしていました。それは、顕正会を信じようとする気持ちが残っていたことと、完全に信仰から離れることへの後ろめたさがあったからでした。

ところが、その勤行会に参加した後は、なぜか毎回のように頭痛が襲ってくるのです。善い行ないをしているはずなのに、気持ちが晴れるどころか、なぜ身体に変調をきたすのだろうかと、疑問に感じていました。

破折書で納得!浅井昭衛の正体

”法論”の際の幹部の姿にも失望

そして、入会して五年ほどが経過した頃、私達夫婦は、惰性(だせい)で信仰はしているものの、埼玉県の大宮に移転した顕正会本部には一度も出向いたことはありませんでした。

そのような折、同じく顕正会員だった友人の富永さんが我が家を訪問してきて、「じつは、すでに顕正会から脱会して日蓮正宗信徒となっている」と伝えてきたのです。

その際に渡された、かつて顕正会の本部職員だった渡辺雄二さんが書かれた顕正会破折の本(『顕正会のいうこともこんなに間違っている』)を読んだ私は、それまで浅井昭衛に対して感じていたオーラのようなものが、一気に吹き飛んでしまいました。

普通の感覚を持ち、善悪の判断が正常にできる人であれば、その書に書かれている内容を見るだけでも、浅井と顕正会の正体を容易に見抜けること、請け合いでした。

ウソと偽りに満ち、増上慢で臆病(おくびょう)で無慈悲極まりない人間―それが浅井の正体だったのかと、目からウロコが落ちるような衝撃を受けた私は、その破折書が決め手となって、顕正会からの脱会を考えるに至りました。

とはいえ、まだ、迷う気持ちもありました。そこで、顕正会での私の班長であるSさんを呼び出して、先に法華講員となっていた富永さんと会ってもらい、その場でどちらが正しいかを法論してもらうことにしました。

待ち合わせ場所に来たSさんは、もう一人、法華講の先輩が来ているということを知るやいなや、顔色を変え、その法華講の先輩に向かって烈(はげ)しく口撃しだしました。
要点をついて穏やかに破折する法華講員に対し、顕正会班長のSさんは、いくら説明されても全く聞く耳を持たず、見当違いの疑難を声高に挙げつらってくるばかり。

その時点では私はまだ顕正会員でしたが、形勢不利となったSさんは、私に騙(だま)されたと言い放ち、私を見捨てる形で去って行ってしまいました。

なんとも無慈悲で無責任な顕正会の上長の姿を見て、もうわだかまりなど一切なくなった私は、程なくして、妻と二人の子供と共に、晴れて日蓮正宗の寺院で御授戒を受けることができました。平成十三年四月のことでした。

御授戒を受けた正宗寺院の御住職から、「皆さんは、本日より大聖人様の御弟子です」というお言葉をいただいて、私は胸が熱くなり、「ああ、これで救われたのだ」と、心が一気に澄み渡るのを感じました。

法華講で体験した正信の大功徳!

顕正会で刻んだ罪障の深さを実感

法華講は、顕正会とは何もかもが違っていました。
仏法の基本が、三宝を重んじることにあることすら、顕正会時代には知る由(よし)もなかったので、全て一から学び直すことになりました。

御法主上人猊下から御指南される、唱題の大事。御住職の法話における、御彼岸や御塔婆供養の意義。講中で学ぶ、健気(けなげ)なる信心の在り方、正しき御供養の志、総本山参詣の意義と功徳、等々。

そして、折伏に対する意義と心構えを、御金言に基づいて徹底的に研鑽(けんさん)し学んでいくことで、じつは折伏はとても大切な仏道修行である、ということを実感できるに至ったのです。顕正会では、折伏(もちろん顕正会の勧誘は「折伏」ではありませんが)は、単なる数集めの勧誘活動だったのです。

座談会や勉強会も、温かみのある和(なご)やかな雰囲気で、楽しく仏法を学べる居心地のよい場でした。顕正会の冷たい雰囲気とは大違いです。
そして、法華講で真に正しい信心の在り方を学び、多くの方々の尊い体験にも触れてくる中で、私自身も本当の功徳を体験し、仏法の不可思議な力に驚かされるとともに、勇気づけられてきました。

昨年のことですが、大きな体験をさせていただきました。
遡(さかのぼ)ること七年ほど前に、主治医の勧めで撮った脳のMRI画像にシコリのようなものが写っていました。それは「クモ膜嚢胞(のうほう)」という良性の腫瘍だったのですが、脳下垂体の所にできているため、その上部にある視神経を圧迫して、視覚障害を起こしたり、下垂体から分泌される成長ホルモンの機能が低下する症状を起こしたりするというものでした。
ところが、私の腫瘍はかなり大きかったにもかかわらず、全く自覚症状がなく、念のため眼科で検診を受けても視界は良好で、成長ホルモンも正常に分泌されているという結果が出ました。

しかし、去年の春頃に突如として視覚障害が発生し、生活上に支障をきたすようになったため、腫瘍の除去手術をしなければならなくなりました。突然症状が顕われたのは、顕正会という異流義で積んだ罪障が、ここで一気に絞り出されて来たのでしょう。

手術は、その道の権威である医師に執刀していただき、無事に腫瘍は除去されて視界も良好になったのですが、その後の検査で成長ホルモンの分泌値が基準を下回っていて、そのままだと難病指定レベルである、という結果が出てしまいました。

しかし、悩みを解決させていく方途は、仏様のお手伝いをするための折伏行であると教わっておりましたので、私は、これまで苦手であった親戚をはじめ、友人、知人、異流義の人々と、次々と折伏させていただきました。

そして、本年二月十六日、再度成長ホルモンの検査を受けたところ、なんと、値は前回の四倍以上にアップしており、治療や投薬の必要もなくなったのです。ただただ御本尊様に御礼申し上げた次第です。

私は、今回の体験を通じて、異流義の罪障がいかに重いかを確信して、唱題や折伏に励むことができ、また御本尊様の広大無辺なる功徳の一分を、心から実感させていただきました。
今後とも、正しい法と正しい師のもとで、真剣な唱題と周囲の人々への折伏を心がけ、喜び多き人生を歩んでいきたいと思います。