顕正会男子部の実態

顕正会教学部副部長 浅野恭浩がオンライン法論から遁走

「顕正会形木本尊は正宗から下付された”本物”」との珍説

広説寺法華講 副講頭 中田紀一

六月十五日、顕正会の浅野恭浩(本部職員・教学部副部長・男子部総部長)は、ニセ本尊について追及されることを恐れ、広説寺(東京都小平市)法華講・副講頭の中田紀一氏とのオンライン法論(その模様はライブ配信)から遁走した。
これを予見していた中田氏はそのままYoutube上で、顕正会形木本尊に関する浅野の〝珍見解〟とその矛盾を解説。顕正会形木本尊はニセモノと立証した。また、妙観講の畑中広樹氏と共に、顕正会幹部の異常な言動、各地で繰り返す騒擾(そうじょう)の実態を開示して、視聴者に注意を喚起した。今回は、その中田氏からのレポートをお届けする。

インターネットで配信された、法華講員宅で追及され狼狽する浅野の醜態(画像①)
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浅野が逃げたのも無理はない法論テーマ

浅野宅の本尊は正宗から下付されたのか?

今回、浅野が逃げたのも無理はない。法論のテーマが「浅野恭浩宅の本尊は日蓮正宗から下付されたのか?」だったのだから(笑)

この遁走劇の経緯(けいい)を説明すると、昨年、私とのSMSメッセージの往復で、顕正会のニセ本尊を破折され、返答に窮(きゅう)した浅野は、苦し紛(まぎ)れに
「(※顕正会の本尊は)日蓮正宗から下附された御本尊なんだから(※本物である)」(令和3年11月13日・画像②)
と主張した。

つまり、顕正会にある本尊の正当性の根拠を「日蓮正宗から下付されたが故に」と定義したのだ。

このことからすれば、「日蓮正宗が下付していない本尊はニセモノ」ということになる。

ご承知のとおり、昭和四十七年当時の妙信講(現・顕正会)は、正本堂での御開扉を願い出る一方、「国立戒壇」の呼称に執着。

日達上人の寛大な御教導にも反発し、御指南に真っ向から背(そむ)く活動を続けた結果、昭和四十九年に至って、同講は解散処分、浅井ら幹部三十三名は信徒除名処分となった。

そのため、浅井昭衛自身も「解散処分によって本尊下付を禁じられた」と言い、日蓮正宗側も「解散処分した妙信講とは無関係」と表明しているように、以来、本尊下付は行なわれなくなったのである。

そこで私は、浅野にこの事実(浅井の発言や御宗門の発表など)を提示して、顕正会の形木本尊は日蓮正宗が下付していないニセモノであることを立証。

さらに、顕正会及び浅野宅にある本尊は、「日蓮正宗から、いつ・どこで・誰から下付されたというのか?」と詰問(きつもん)した。

これにより、浅野は回答不能に陥(おちい)った。

浅井はこれまで、「(当時すでに住職罷免〔ひめん〕、僧侶擯斥〔ひんせき〕されていた)松本日仁から本尊を託(たく)された」と説明してきたが、本宗では古来、御本尊に関する一切は御法主上人の権能とされている。

日蓮正宗と無関係になった松本日仁が本尊を浅井に託し、これを浅井が下付したり入仏する、などという資格はどこにもない。否、資格どころか、浅野の説に従えば、これは紛れもなくニセ本尊だということになる。

ゆえに浅野は、口が裂けても「浅井センセーが下付・入仏した」とは言えないのだ(笑)

以下、錯乱(さくらん)した浅野が連投してきた駄文である。

「『日蓮正宗は、顕正会に本尊を下付していない』だって?  嘘だよ、嘘(笑)大嘘(笑)誰もがすぐにわかる嘘をつくなよバカ  」(画像③)

「『顕正会の本尊は、日蓮正宗から下付された』が、なぜ『日蓮正宗に本尊下附を禁じられた』を覆(くつがえ)すことになるの? 万人が納得できるように合理的に立証してみろ」

「『日蓮正宗は、顕正会への本尊下附を停止と証言』が、なぜ『顕正会と浅野恭浩宅の本尊はニセモノ』を立証したことになるの? 万人が納得できるように合理的に立証してみろ」

どうやら、「コクリツカイダン」と鳴く〝天母山のサル〟には、まず「立証」の学習が必要なようだ。そもそも、サルは万人に含まれないが(笑)

なお、浅野は先日、「本山登山は禁止、御本尊下附も中止」(『顕正新聞』令和四年五月二十五日号)と登壇発表した。手がつけられない支離滅裂な悩乱ぶりである。

出所不明の本尊が「宗旨の根幹」

日淳上人の仰せの通り顕正会は邪義

読者の中には、「撃沈されるのが明らかなのに、なぜ浅野は法論を応諾(おうだく)したのか?」との疑問を持つ向きもあるかもしれない。そこで、浅野が送りつけてきたメッセージの一部を紹介し、彼らが「お笑い教学部」と嘲笑(ちょうしょう)される所以(ゆえん)を知っていただきたい。

●浅野から中田へのメッセージ

「1対1で話してやるから堂々と出て来い。お前は自分の言いたいことを好きなだけ話しても良い」

「御本尊様のことを話したいんだろ? 聞いてやる」

「御本尊様は『宗旨の根幹』『信仰の根本』だ。なぜ私の前に堂々と出て来て、論じることができないんだ? 話を聞いてやるから早く希望日時を示せよ。バカ猿(笑)」(画像④)

「御本尊様について逃げたのは100%、お・ま・え・だ・よ(笑)」

「お前は1対1で御本尊様のことを話す確信も度胸もない腰抜けだ」

「お前の希望日に合わせてやるから2時間以上取れる日を示せ」

「6月15日(水)20時~22時。わかったな? サルW」

そこで、大言壮語を吐く浅野に対し、「6月15日、ZOOMによるオンライン法論を行ない、ライブ配信しよう。

テーマは『浅野宅の本尊は日蓮正宗から下付されたのか?』だ」と、私は通告した。

だが当日、私の「ZOOMにハイリタマエ」の呼びかけも虚(むな)しく、浅野は遁走(とんそう)した。

顕正会形木本尊の出所は回答不能のまま、今に至っている、という次第。

総本山第六十五世日淳上人は「本尊に於いて邪正を決すべし」と題して、次のように御指南あそばされている。

「宗教はその一切が本尊によつて起り、また一切が此に帰結する。乃(すなわ)ち宗教は本尊によつて、成立するのである。よつて宗教の邪正は本尊によつて決定せられなければならない。

而(しかし)て此の本尊に於ては正確に邪正を断定できるのである。

本尊が正しければその宗教は正しく、反対に正しくない本尊による宗教は迷信であり邪教である。」(昭和二十五年四月『大日蓮』)

出所不明の本尊を「宗旨の根幹」とする顕正会の邪義たることは明白である。

そのような輩(やから)に、日蓮大聖人の御遺命云々などと言う資格はない。もとより、御遺命の「本門寺の戒壇」と無関係な集団に属していることを、全顕正会員は自覚すべきだ。

そして、会内でタブーとなっているデタラメ本尊の実態から目を背けず、覚醒(かくせい)してほしい。

なお、本稿では、下付・授与・入仏などに破折の主眼を置いた。

顕正会の会館や拠点にバラまかれたニセ本尊(日布上人の大幅形木本尊、日寛上人の形木本尊)については、WEBサイト「顕正会からの脱出」をご参照いただきたい。

学会ニセ本尊を批判できない顕正会

それは同じ異流義のムジナだからだ

今年二月十六日、私は広説寺講員宅で浅野と遭遇した。浅野は、私から本尊の出所を詰問されるや、苦し紛れに

「浅井センセーが、『顕正会の本尊は日蓮正宗から下付された』と言っていたら、どうする?」(画像①)

と言い放った。お笑い教学部の「○○だったら、どうする?」のハッタリ常套句(じょうとうく)である。

そこでこちらが、「浅井がそう言ったのか?」と追及するや、回答不能に陥り退散した。

浅野教学部副部長は、デタラメ自説の尻拭(しりぬぐ)いを浅井センセーに責任転嫁しようとして自爆したのだ。

浅井がいつ、「顕正会の本尊は日蓮正宗から下付された」と発言したのか、今後も浅野を追及したい。

読者の中には、「なぜ、浅野は自ら墓穴を掘って窮地(きゅうち)に追い込まれたのか?」と不思議に思う向きがあるかもしれない。それは、私とのSMSメッセージの往復に伏線がある。

昨年十一月十二日、私は浅野に
「『ニセ本尊』と追及されるのがイヤなら、いっそ『浅井センセーが御本尊を作って何が悪い!』と開き直ればいいじゃないか」(画像⑤)
と助け舟を出してやった。

すると浅野は翌日、
「『御本尊は本物』との前提で法論をするのは当たり前だろ。日蓮正宗から下附された御本尊なんだから」(画像②)
と反応したのである。

その後、浅野はさらに
「宗門やお前の御本尊様に対する誹謗(ひぼう)を『デマ』『妄想』『大謗法』と断言」
「顕正会の御本尊様に対する宗門の誹謗は100%デマ」
「中田は、顕正会の御本尊がいつ日蓮正宗から下附されたのか、どなたが下附してくださったのか、も知らないクセに、御本尊様を誹謗する大謗法のクズ人間である」

と錯乱ぶりに拍車をかけた。

こうした浅野の主張にもとづけば、創価学会・池田大作が作成・頒布(はんぷ)した本尊も、日蓮正宗から下付されていないニセモノ、ということになる。
そこで私は、こう糾弾した。

「創価学会が作成・頒布する本尊は、本物、偽物、どっち? 君はそれを拝めるの?」

「日蓮正宗は、顕正会に本尊を下付していない。本部職員・浅野恭浩にも本尊を下付していない。だから、君の自宅にある『本尊とやら』はニセモノ」
「顕正会は同じ穴のムジナである異流義・創価学会のニセ本尊を批判できない。

ここまで言われても、浅野くんは一言も反論できないから、ニセ本尊が確定」
と。

いかがだろうか?〝天母山のサル〟に遭遇した際には、皆さん、ぜひお尋ねしてもらいたい。