顕正会員はこの事実を刮目して見よ
両上人の御臨終への誹謗は故なき出任せ
ニセ本尊疑惑にもまったく弁明なし
去る十月七日、都内北区赤羽において、理境坊在勤・小川正豪御尊師(以下、小川尊師と略す)と顕正会教学部長・坪田敏との法論対決が実現した。
ここに至る経緯は、顕正会・坪田が執拗に理境坊に架電し、小川尊師に法論を要求し続けたことに始まる。
「証拠を持ってこい」の追求に
「ちゃんと対応いたします」と
坪田らのこれまでのやり口から、まともな法論など望むべくもないと知悉(ちしつ)されていた小川尊師だが、これまで顕正会が偽本尊疑惑に口をつぐみながら、本宗僧俗に向かって「日顕上人の御遺体に厚塗りの死化粧をしたという証人を出せたらどうする!?宗門を辞めるか」などと吹っかけてきていることに鑑(かんが)みて、坪田に二つの条件を提示された。
すなわち、
①顕正会で掲げる日布上人大幅形木本尊が真正な本尊であると証明せよ
②日達上人・日顯上人が悪臨終で、厚塗りの死化粧をしたのを見たなどとする証人の名前を明かせ
との二つであり、この答えを法論当日に持ってくるなら法論に応じよう、と答えられたのである。
坪田はこれに頑強に抵抗し、「その条件は却下!」「テーマはなし!」「お互いに言いたいことを言い合えばよい」などと喚(わめ)き続けたが、小川尊師はこの重大なテーマから坪田を逃がさない。
やがて、とにかく会ってしまえば何とかなる、とでも思ったのであろう、小川尊師からの「証拠を持って来れるのか」との追及に、坪田はついに「その場でちゃんと対応いたします」と約束したのである。
こうして、十月七日に双方(富士宮と大宮)の中間地点の東京都内で、二対二の法論対決(その他に記録係一名ずつ)を行なうことが決定した。
顕正会側が約束を守らないであろうことは、最初から予想されたが、案の定、まず対決の会場について、事前の約束では、小川尊師が会場の候補地を捜し、それを坪田に連絡してから予約する、ということとなっていたのだが、坪田は「公平公正を期するため北区赤羽の貸会議室を予約した」などと一方的に通告してきた。そして、顕正会本部からほど近いその会場に固執し、一歩も譲らないのである。
じつに理不尽な行為だが、対決実現を優先して、小川尊師はこれを受諾された。
そして迎えた当日、顕正会側の弁士は、教学部長・坪田敏と、副教学部長の伊東信昭、記録係が同じく副教学部長の浅野恭浩。正宗側の弁士は、小川正豪御尊師と、妙観講第五支部長の東川浩氏、記録係が妙観講支区幹事の齋藤志朗氏で、午後一時から法論対決が始まった。
「上からの撮影はルール違反」?
坪田教学部長の不都合な事情
ところが、顕正会側は、すぐに細かいところに難癖をつけ始めた。記録係が、高い位置からカメラを向けて撮影しようとしたところ、「ルール違反だ」(?)と意味不明なことを言って騒ぎ出し、一歩も譲らない。
その懸命さに、どうやら坪田には、上から撮られると不都合な事情があるものと思われたので、哀れに思ってその要求を了承してあげる。
さらに、小川尊師が説明のために、壁に掲示したりプロジェクターで投影しようとしていた資料について、「約束していないから掲示は却下。プロジェクターによる投影も許可しない」と拒絶。これも不本意ながら、小川尊師側が了承してあげたのである。
さらに驚いたことには、タチの悪さで評判の浅野が「記録係が喋(しゃべ)らないなどとは約束していない」と言い始めたが、さすがにまともな対決を望む上から、この要求は退け、法論対決に入った。
だが、小川尊師側が、決まっている二つのテーマに沿って話を進めようとすると、坪田は「こんなテーマは合意していない」と騒ぎ出したのである。
坪田は、自分で約束しておきながら、「自分はテーマについては承認していない。後日の電話で却下している」と女々しいことを繰り返す。
そこで、小川尊師と坪田との会話の該当部分の録音データを聞かせようとするが、顕正会側は、このたった一分ほどの音声を、落ち着いて聴くことすらできない。事実を認めたくないのだろう、何度、音声を再生しようとしても、終わらないうちに大騒ぎするのである。
結局、二つのテーマについて、認める、認めない、との応酬が一時間以上続いた。
坪田は、自分の似顔絵まで入った法論告知ビラが許可なく撒かれている、と言って話題をすり替えようとしたり、テーマなしの言い合いに持ち込もうとして、本紙『慧妙』(令和元年七月十六日号)「降魔の剣」欄を持ち出し、そこに
「日蓮正宗の寺院では、未入信者の来訪を排除することなどあり得ない。妙観講本部にも確認したが、『顕正会員の訪問は大歓迎。来たら徹底的に邪義を破折して帰伏させるのみ』とのこと」
との記述があることから、「これは、いつでも無条件の法論を受けなければならない、という意味だ。これが、宗門の公式見解だ」などと言い出す始末である。
「妙観講本部の一見解」を「宗門の公式見解」のようにスリ替え、しかも、これをもって、「条件を決めない法論を受けるべきだと書かれている」と言うのだから、謀(たばか)りとしか言いようがない。
小川尊師が、「ならば、その次下に『顕正会会長・浅井昭衛は、敗者は勝者の弟子になるという明快な条件のもと、大草講頭との法論に出るしかなかろう』とある部分も呑んで、浅井が大草講頭との法論に出るべきだろう」と切り返したところ、坪田らは大騒ぎしてごまかすしか術がなかった。
タイミングを見計らい
偽本尊疑惑に切り込む
このまま本題に入れないで時間が経過していくのも意味がないため、タイミングを見た小川尊師が、顕正会の大幅形木本尊の話題を持ち出し、用意していった偽本尊の大きさの分かるレプリカと、偽本尊が安置された顕正会会館のリストを示して、「本尊のサイズを示してみろ」「いつ、どこで、宗門から下附されたのか、言ってみろ」「常住本尊と形木本尊の違いがわかっているのか、形木ってどういう意味か説明してみなさい」等と追及されると、坪田はまったく回答できない。
さらに、『本因妙抄』より
「血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の稟承(ぼんじょう)唯授一人の血脈なり」
(御書一六八四頁)
との一節を引いて、「御本尊についての大権は御法主上人のみが御所持されている。
血脈相承を受けていない浅井が、本尊を印刷し会館にばらまいても良い、という文証を出してみろ」と、御書すら持っていない顕正会教学部長に御書を差し出すと、御書を受け取ることもできず、ひたすら小川尊師の言葉を聞かないように大騒ぎするだけであった。
最終的に小川尊師は、
「諸宗は本尊にまどえり」
(御書五五四頁)
の文を引いて「坪田さんは、顕正会の大幅形木本尊について、何の見解も出せない。あなたたちは邪宗と一緒だ!」と断定されたのである。
両上人御臨終への誹謗も
跡形もなく吹っ飛ぶ!
次に、日顯上人が悪臨終であったとかいう件についても、坪田らの難癖は酷(ひど)いものであった。
小川尊師が「自分は日顯上人の御臨終の妙相を間近に拝した。死化粧されたなど、絶対にあり得ない」と言うと、伊東が「それは納棺の後だろう?」と、あちこちで使っている切り返しをしてきた。
そこで、小川尊師が「私は記録係として、総本山に御遺体が到着された時点から、納棺の前後、御火葬までの間、御遺体のお側近くにいさせていただいた」「納棺の前も後も死に化粧などはしていない」という決定的証言を出したところ、なんと坪田は「宗門の関係者は身内と同じである。身内であるあなたの証言は、信じるに足らない。第三者の証言を出してみろ」との支離滅裂(しりめつれつ)な反論を展開した。葬儀社の能登氏に言い放ったのと同じ論法である。
これに対し小川尊師が「身内以外の人間は謗法者ということになるが、そもそも謗法者が日顯上人の葬儀に参列できるわけがないではないか」と諭(さと)しても、「第三者でなければ証拠となり得ない」と、駄々っ子のような発言を繰り返すばかり。
逆に、小川尊師の側から、日顯上人の悪臨終という誹謗の出処となった「通りすがりの元宗門僧侶とは誰なのか、答えてみろ」「死に化粧はいつ誰が施したのか、それを誰が見たのか、言ってみろ」と追及したことに対して、坪田らは最後まで一言も回答できなかったのである。
また、日達上人が悪臨終であったとの証拠も全く出すことができず、顕正会・坪田の完敗がここに確定した。
謗法の果報を恐れよ!
顕正会員は謀りに気付け
なお、以前から坪田と遭遇した法華講員より、坪田の手がプルプル小刻みに震えていた、との話が上がっていたが、今回も、坪田の手が異様に震えていたため、東川氏が「坪田さん、手が震えてますけど、体調は大丈夫ですか?」と気づかって尋ねると、坪田は急に怒り出し、横にいる伊東まで「そんなことを聞くもんじゃない!」と声を荒げた。
何か知られて困る事情があるのだろうが、仏法の因果は絶対であれば、坪田らは謗法の果報を恐れるべきである。
ともあれ今回の法論において、歴(れっき)とした顕正会の教学部長、副教学部長が、揃いも揃ってかくのごとき有り様であった。これをもって、①日達上人・日顯上人の悪臨終という誹謗について、②顕正会の大幅御形木本尊についての真偽について、顕正会には何の証拠も証人もないことがハッキリした。
顕正会のデタラメな発表に騙され、謗法を犯し続けている会員諸氏は、自らの誤りに気づくべきであろう。
また、法華講員諸兄においては、哀れな顕正会員を一人でも多く救うべく、いよいよ折伏に励もうではないか。
『慧妙』令和5年10月16日号より転載