資料集

法華講員は見た!無様な顕正会幹部 法論から遁走した副総男子部長・小沼

法論から遁走した副総男子部長・小沼

千葉県我孫子市での小沼

そもそも小沼は、これまでも顕正会の中では自身の醜態はひた隠しにし、〝正宗寺院の御住職や妙観講の幹部を回答不能にした〟などという作り話を幹部会で発表しては、それを『顕正新聞』紙上に掲載してきた。
昨年の十一月十五日、千葉県我孫子市・啓正寺に小沼某ら顕正会男子部三名が乗り込んできた時もそうであった。
この時の小沼は、すでに木っ端微塵に破折され尽くした「正本堂に関する宗門の御遺命破壊」なるものを一方的に喋りまくって勝利宣言しようとしたが、啓正寺御住職と同席した妙観講員から〝顕正会のニセ本尊疑惑〟を追及されると、急にシドロモドロになったあげく、「御本尊のことを一会員が言及することはできない」「浅井会長には聞けない」等と苦しい言い訳に終始し、そそくさと逃げるように帰っていった。
ところが、『顕正新聞』(十二月十五日・二十五日合併号)に掲載された小沼の発表では、ニセ本尊問題について追及されて無様な姿を晒したことなどはオクビにも出さず、「最後、私と臼井隊長と橋爪隊長で、藤本(御住職)と妙観講員を強く呵責(かしゃく)して寺を出ました」と結んでいるのである。

千葉県柏市での小沼

さらに小沼は、本年二月十四日、千葉県柏市で行なわれた顕正会男子部と妙観講員の法論にも現われた。妙観講側の東川浩支部長は、前回の啓正寺における法論にも参加しており、小沼がニセ本尊問題で回答不能となって逃げ帰ったことを知っていた。
そこで東川氏は、顕正会のバカの一つ覚えのような〝御遺命破壊〟云々には取り合わず、「まずは、あなたが前回回答できなかった顕正会のニセ本尊疑惑についてだ」と切り出し、追及した。小沼が話題を変えて逃げようとしても、妙観講側は顕正会のニセ本尊疑惑から話を逸らさず、徹底追及を重ねた。
この時の話が、小沼の発表として載った『顕正新聞』(三月五日号)によると、
「私が『御遺命』と口にすると、東川と平井は狂ったように『御本尊、御本尊』と騒ぎ始めた」「壊れたレコードのように『御本尊、御本尊』と喚くだけ」「幹事の平井は極度の緊張からか手と唇を震わせ、また東川は目を見開きながらやはり『御本尊、御本尊』と呪文のように繰り返し」「『御本尊、御本尊』と発狂するだけ」
等々と、「ニセ本尊」というキーワードを隠したまま、意味不明な話に作り替えて会員を煙に巻いたのである。
いずれにしても、こういう改ざんした話ばかりを聞かされている会員らこそ、哀れである。

そして法論から逃げた小沼

さて、その小沼が、本年三月二十二日夕方、東京都板橋区常盤台の顕正会東京会館付近で妙観講の畑中広樹班長が顕正会男子部に取り囲まれている現場に合流してきた。
この時の騒動は、地元住民(普段から顕正会の非常識さに呆れていた人で、妙観講とは無関係)の通報で警察沙汰にまでなったが、小沼らは、その地元住民を妙観講員だと思い込み、その人に向かって喚き散らしたり写真撮影に及ぶ、という狂態を晒した。
この時のことが、小沼の発表として『顕正新聞』(四月十五日号)に載ったが、一から十までねつ造と歪曲で、あたかも小沼は顕正会のヒーローである。いわく、
「畑中はこの一年間、私との法論を逃げ続けたにも拘(かか)わらず、顕正会員に近づいては、『小沼は法論から逃げた』と粋がって吹聴していた」
等と。
こうしたデタラメ話に憤慨した畑中班長は、五月三日付で小沼に内容証明郵便を送付し、これまで継続して妙観講側から追及してきた顕正会のニセ本尊疑惑について決着をつけようと、真正面から法論を迫った。
これに対する小沼からの返答は、『顕正新聞』での威勢のよさとは裏腹に、誠実さのカケラもない短いメール文のみ。それも、「まず君が最初になすべきことは、私に許しを請うことでしょ」とか「子供なら、家でおとなしく勉強でもしていなさい」などと虚勢を張って空いばりし、肝心な法論は避けているのだから、見苦しいことこの上ない。
その後も重ねて畑中班長が法論を迫ったが、小沼は揶揄(やゆ)メールを返すだけの逃げの一手。
末尾にこのやり取りを全文公開する。小沼による〝ウソ話〟の製造過程なども明らかなので、長文ではあるが是非ともご覧いただきたい。
それにしても、顕正会員にとって、師匠である浅井昭衛が作成した〝ニセ本尊〟について法華講員から追及され、弟子が逃げ回るしかない、というのも、じつに皮肉な話である。顕正会のニセ本尊について、各地で、動執生疑を起こして脱会する者が続出しているらしいが、ニセ本尊疑惑について誰もが納得する回答を示さないかぎり、今後もこの流れは止まることがないであろう。呵々。(以上は『慧妙』6月1日号よりの抜粋)

以下が畑中班長と小沼とのやり取り全文である。

妙観講員畑中班長と顕正会男子部小沼某のやり取り全文

令和二年五月三日付 畑中班長から小沼某への内容証明

前略

四月十五日付『顕正新聞』掲載の貴殿の発表を読みました。
「よくぞここまで大ウソで固められたな」という内容で、その汚れた性根に、心底より呆れ、思わず失笑してしまいました。細かなことを挙げればキリがありませんが、いちおう貴殿のウソについて、以下の数点のみを指摘しておきます。
三月二十二日夕方、私は常盤台駅周辺で、顕正会・男子部数名に囲まれていました。大声で威嚇されていたところに、貴殿がやってきて、さらに大声で喚き散らし、騒ぎはもっと大きくなりました。貴殿らは、六人で私一人を取り囲み、顔を近づけて大声で威嚇し、「法論だ。行こうぜ。逃げるのか!」と大騒ぎしました。貴殿は、これまで、当方から、何度もメールにて顕正会の誤りについて破折されたにも関わらず、まともな回答もできないままであったため、この場で、大人数で私を取り囲み、大声で威嚇し続けて、何とか「妙観講員をやり込めた」という形を作りたかったのでありましょう。
貴殿は、東川支部長との法論に於いて、「ニセ本尊」について追及されて反論不能に陥ったにも関わらず、「『御本尊、御本尊』と呪文のように繰り返していました」などとウソだらけの活動報告を発表し、これを機関紙に掲載した、という件を、私が追及したにも関わらず、話をはぐらかして、大声で騒ぎまくりました。
案の定、「ニセ本尊」については、『顕正新聞』でも全く触れることなく隠蔽しています。
そして、顕正会男子部が、私に顔を思いきり近づけて威嚇している異常な姿を見て、通りすがりの女性が、顕正会男子部の異常な行動を諫めようとして、「あなたたち、若い子を大勢で囲んで何やっているの!」と言って、男子部達の前に立ちはだかって止めさせようとしました。
この方は、顕正会東京会館の近くに住む住民だったのですが、男子部たちは、この方を妙観講員だと勝手に思い込み、スマホで女性の顔写真を撮ったり、威嚇したりしていました。
この女性は、顕正会員の非常識な行動を常日頃から見かねており、近隣住民として止めに入ったのです。
そして、顕正会員のあまりの執拗さに危険を感じた女性は、常盤台駅前の交番に駆け込んで、顕正会員の異常な行動を、警官に止めてもらおうとしたのです。この女性は、顕正会の危険な反社会的体質を、とても危惧されていました。
そして、警察官の制止を受けた顕正会男子部たちは、それ以上騒ぎ続けることもできなくなりました。
警察官は私を心配して「身の危険を感じたら警察に助けを求めてください」と言ってくれました。
解散するようにとの警官の指示に、顕正会員たちも素直に従ったかのように思えたので、私はその場を後にしました。
私は近くのファミリーレストランにて、母と食事を済ませ、一足先に外に出たのですが、顕正会員らは、私たちを尾行して、ずっと外で待ち伏せしていたのです。外に出た瞬間、男子部達が突っ掛かってきたので、私は身の危険を感じ、「もう夜も遅いし帰りたいので、迷惑な顕正会員を引き離してください」と、近隣の交番に出向き、警察官にお願いしました。
その警察官が、「顕正会と妙観講のそれぞれの代表者で決着をつけるべきだ」と言ったので、後から合流した母が「お巡りさんの仰るとおりですよ。顕正会代表の浅井昭衛が出てくれば、いつでも妙観講の代表として大草講頭が議論に応ずると言われています」と話し、貴殿に「浅井昭衛に、法論に応ずるよう、伝えるように。浅井は三十年前から法論を逃げ続けている。あなたが法論したいというなら、顕正会代表の肩書を浅井からもらって出てくるように」と伝えましたが、貴殿は、よほど都合が悪いのか、聞く耳を持たず、「お前は関係ない」などと大声で喚き散らし、母の話を遮っていました。
とにかく、私一人を連れ出し、大勢で取り囲んで大声で威嚇し、「妙観講員を打ち負かした」という形を作りたいことは見え見えであり、これが「法論」などに値しないことは言うまでもありません。
その後、警官より「解散するように」との指示があり、夜も遅くなりましたので、私たちは帰路に着きました。
したがって、一旦解散後「遁走した畑中を見つけ出し」たというのも大ウソです。私の食事中も外で大勢の顕正会・男子部が待ち伏せし、私が外に出た途端に突っ掛かってきたので、危険を感じて再度警察を呼んだというのが真実です。
よくぞまあ、ここまでの嘘が並べられるものだと感心します。
貴殿は、これまでも『顕正新聞』十二月十五日・二十五日合併号に掲載の発表において、千葉県我孫子市・啓正寺を法論のため訪問し、御住職とその場にいた妙観講員を反論不能にしたと嘯き、顕正会にとって都合の悪いニセ本尊についての議論の部分を意図的に全てカットしました。実際は、顕正会のニセ本尊について徹底的に追及された貴殿は、焦ってシドロモドロになり、歯切れの悪い理解不能な苦しい言い訳に終始したそうですが、これらの部分がバッサリとカットされ、顕正会のニセ本尊について議論したことさえ隠蔽しているのですから、呆れるばかりです。
三月一日付『顕正新聞』には、妙観講・東川支部長、平井幹事との対論の場で「ニセ本尊」について何度も追及されたことを、貴殿は「『御本尊、御本尊』と呪文のように繰り返していました」とのウソだらけの活動報告を掲載していました。
実際は「前回、啓正寺において、こちら側の顕正会のニセ本尊についての質問に、回答不能であったのだから、あなたから答えるのが筋です。日布上人の大幅御形木御本尊とやらは、本物かニセモノか答えてみろ!」とニセ本尊について追及された事実すら隠蔽しています。繰り返しになりますが、三月二十二日も私がこの顕正会のニセ本尊について追及したところ、話をはぐらかしていました。
顕正会のニセ本尊についての法論から貴殿は逃げ続けていますが、そろそろこの問題について決着をつけたいと思います。いかがでしょうか?
以下、法論の条件を提案します。

①私と貴殿とで一対一の法論を行なう
②法論の条件は、敗者が勝者の弟子になる、との一ヶ条のみである
③相手が話している途中で遮って大声で捲し立ててはならない。また、論点を途中で反らしてはならない。破った者は敗けとする。

法論のテーマは、
貴殿が議論から逃亡し続けている、最も重要な問題である顕正会のニセ本尊疑惑、の一点で良いと思います。(三月二十二日にも、「ニセ本尊についてやろうぜ!」とハッキリ言っていましたね。)

顕正会の各種御本尊とやらが本物と主張するならば、貴殿は各々の本尊の出処を誤魔化すことなく説明するべきであり、道理と証拠をもって説明できなければ、言うまでもなく貴殿の完全敗北です。
また、当然のことですが、相手の話を聞かず一方的に大声で騒ぎまくる、というのも、日蓮大聖人の仰せから外れるあるまじきことであり、厳に慎むべき恥ずかしい姿であります。念のため、忠告しておきます。

法論の日時は、五月か六月、双方にとって都合の良い日で、時間は三時間程度とする。

場所は都内の中立な施設を借りるものとするということでどうでしょうか。
さらに明確な記録を残す目的で、複数のビデオカメラで撮影する(妙観講側・顕正会側共に可)とします。
諾否は本書面到達後、一週間以内に貴殿自身の名をもって内容証明郵便で返信ください。
また難癖を付けて、法論回避を図られることのなきよう、祈っております。以上

令和二年五月吉日

〒330-0805埼玉県さいたま市大宮区寿能町1-72-1 顕正会本部 小沼貴寛 殿

〒167-0042東京都杉並区西荻北5-4-3 妙観講本部内 畑中広樹

令和二年五月十日 小沼某より畑中班長へのメール

妙観講 畑中広樹君

君から手紙が届いていたのでざっと読んでみたが、必死なほどの弁明は余りに痛々しく引いてしまったよ。
あんな作文を内容証明で送ってくるとは、君も相当追い詰められていたんだね。
それにしても、君はすでに遁走したことが確定しているのだから、いまさら法論を求める立場にはなり得ないことが分からないのかな。
面倒くさい君に老婆心から教えてあげるけど、まず君が最初になすべきことは、私に許しを請うことでしょ。
「これまで大口叩きながら、逃げ続けて申し訳ありませんでした。二度と逃げないので、もう一度チャンスをください。お願い致します」と。
大人としての筋目を弁え、懇願してくるのであれば検討だけはしてあげるから。
もし、筋目がわからないなら子供なら、家でおとなしく勉強でもしていなさい。
もう君の出番はとっくに終わっているんだよ。

小沼貴寛

令和二年五月十一日付 畑中班長から小沼某への内容証明

前略

貴殿からの臆病かつ無節操極まりないメールを確認し、唖然失笑してしまった。
まず5月3日付の私からの内容証明において、貴殿自身の名で責任をもって法論を受諾するよう求めたにも拘わらず、一方的なメール一通で幕引きを図った貴殿はお粗末としか言いようがない。『顕正新聞』4月15日号紙上で、捏造をもって私を散々にけなしていたにも拘わらず(貴殿の捏造発表は、今回ばかりではないので、驚くまでもなかったが)、内容証明をもって法論の提案をするや否や、逃避を決め込んでしまったのである。
貴殿は、まず私がなすべきことは貴殿に許しを請うことであると、意味不明の強がりを述べているが、謝罪すべきは、『顕正新聞』紙上に何度も捏造発表を掲載して知らん顔を決め込んでいる貴殿の側である。
貴殿の発表の言葉を借りるなら、「負け惜しみの言葉を吐きながら敵前逃亡する“顕正会副総男子部長小沼貴寛”の姿には反吐がでる思い」である。
さて貴殿は昨年の私とのメールでのやり取りにおいて、その戯言を破折され、完全に回答不能となっていたが、3月22日、今まで東川支部長等の追及から逃げ続けてきた顕正会の「偽本尊」について、ついに「偽本尊についてやろうぜ」との言葉を出した。そこで、私が今回の法論の申し出をしたのである。
貴殿の発言は音声データとして証拠が残っている。顕正新聞の発行責任者である貴殿が、自身の発言を反故にして、敵前逃亡したことになるが、そんな恥ずかしい姿を晒して良いのか?
法論を挑まれながら、いろいろな難癖を付けて避けるのは、逃避以外の何物でもない。
貴殿が法論から逃げて遁走したことを、ここに断定する次第である。
貴殿が師匠と仰ぐ浅井昭衛は、妙観講の女子講員の折伏から逃げ隠れし、その弟子の貴殿は、弱冠20歳の私から法論を挑まれて逃亡した。
これでは、大草講頭との正式法論など実現しようもないことがよく理解できた。所詮、貴殿らには法論を云々するなど百年早いと知るべきである。

哀れ、哀れ。 草々

令和2年5月11日
〒330-0805埼玉県さいたま市大宮区寿能町1-72-1 顕正会本部 小沼貴寛殿

〒167-0042東京都杉並区西荻北5-4-3 妙観講本部内 畑中広樹

令和二年五月十五日 小沼某より畑中班長へのメール

妙観講 畑中広樹君

僅か400字にも満たない私のメールにわざわざ内容証明で返信してくるとは、妙観講も相当焦っているようだね。
今になって焦るくらいなら、最初から法論に応ずればよかったのに。
これまで何度もチャンスはあったでしょう。
しかし君が遁走した事実は消せないから、現実を早く受け入れたほうがいい。
そもそも子供の君には荷が重すぎたんだよ。

小沼貴寛

以上