元顕正会員の体験談

外交官の夢を捨てて…活動に没頭 那須野圭太郎さん

私は昨年九月、妻と共に邪教・顕正会を脱会し、日蓮正宗に入信させていただきました。以来、今日までに家族全員が正宗に帰依することができ、御本尊様の功徳としか思えないさまざまな体験をいたしました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

このたび、私たち一家が顕正会の邪義から脱出し、正法に帰依させていただけた経緯と体験を報告することで、一人でも多くの顕正会員の覚醒に、また顕正会員を救うために奮闘されている法華講員の方の参考に、微力ながらもお役に立てれば幸いと思い、筆を取りました。

私と妻は顕正会員時代、長年にわたり幹部を務めていました。私は一時期、男子部第41隊・支隊長として、妻は昨年の脱会まで第5女子部幹事・第74区長として多くの後輩を率いて活動していました。騙されていたとはいえ、日蓮正宗を悪口誹謗し、思い返せば身が震えるほど恐ろしい謗法の限りを犯してきました。

平成十年、外交官を目指していた大学生の私は、アルバイト先で出会った妻から顕正会に勧誘されたのですが、要領を得ない支離滅裂な顕正会の教えに、最初は反論して全く取り合いませんでした。しかし、妻に「一度だけでも御本尊様にお会いしてほしい」と懇願され、形だけ入会してしまいました。

妻には翌日、「顕正会をやるつもりはない。この件だったらもう会わない」と釘を差しました。ところが、その後、だまし討ちのように顕正会のビデオ放映や会合などに誘われているうちに、顕正会の〝魔の通力〟に取り憑かれ、約半年後には外交官になる夢も捨て、熱心な活動家と化してしまったのです。そして、友人や知人、親戚など、数百人以上を勧誘し続けました。

顕正会には功徳はない!心身の疲弊と家庭不和

そんな私が、顕正会から距離を置いたのは、平成23年でした。顕正会の正体は「三宝誹謗の仏敵」「仏法惑乱の魔族」ですから、長年活動を続ければ、幸福になるどころか不幸になっていくのです。妻と共に信心を根本とした幸福な家庭を築くつもりでしたが、連日連夜、熱に浮かされたように顕正会の活動に没頭した結果、私も妻も心身が疲弊し、一家和楽とは程遠い境界へと堕ちていきました。

平成15年に長男、18年に次男が誕生しましたが、病気や経済的な困窮、家庭不和が途切れなく続くのです。「正しい信心をしているはずなのに」との疑念がよぎっても、私は冷静な判断ができなくなっていました。

表面上は顕正会の功徳による順風満帆な人生を装ってきましたが、心身がボロボロになった私は、平成二十三年、男子部41隊の支隊長でありながら活動から離脱しました。すると、顕正会から距離を置いたことでマインドコントロールが次第に解け、物事を冷静に見つめる客観的な思考力を取り戻していきました。

そして、「顕正会・浅井会長の指導は本当に正しかったのか?」という疑問を晴らすべく、日蓮正宗信徒となった元顕正会員の方々が発信するブログなどを読み進めていくと、長年抱いていた疑念や迷いに対する答えにたどり着いたのです。

「顕正会は間違っている!」――私の肚は決まりましたが、疑問を持ちながらも幹部として活動していた妻は、「国立戒壇こそ御遺命の正義。御遺命を守った浅井先生は正しい。日蓮正宗には行かない」と、頑迷な姿勢を崩しません。しかし、私は縁あって結ばれた妻を救いたいと願い、時間をかけて、顕正会の誤りと日蓮正宗の正しさを根気強く説きました。

〝顕正会二世〟だった妻は、若い頃から上級幹部として活動してきたので、組織の内情にも精通していました。それゆえ、「顕正会は正しい」「功徳に満ちている」と思い込んできたものの、妻は次第に、

●組織内を見渡せば、実際は、病気、貧乏、家庭不和で悩み苦しむ会員ばかり
●ネタ切れで、安倍政権批判に終始する浅井会長の指導に辟易
●顕正会を散々批判している夫(私のこと)が、次第に仕事で成功し始めた

――これらの現実を目の当たりにして、「顕正会=浅井会長は絶対ではないかもしれない」「本当に正しいのはどちらなのか?」と考えるようになりました。そして、自ら日蓮正宗の関連ブログや書籍を読み始めました。

顕正会の本尊はニセ物だった!ついに巡り合えた本物の信心

そのような中、平成30年9月、ついに妻も脱会を決意。私たち夫婦は、大願寺御住職の板東慈潮御尊師と中臺あずささん(元顕正会女子部第3区長)の御案内で、総本山大石寺を見学させていただくことになりました。

この時、私たち夫婦は、出処疑わしい顕正会下附の、〝日寛上人の御形木〟と称する〝御本尊〟を持参し、本山塔中・本住坊の吉田道善御住職にその真贋(しんがん)を確認していただきました。実際に、本住坊に所蔵されていた「本物の日寛上人の御形木御本尊」を拝し、「顕正会版本尊」と比べてみると、なんと、本体の大きさや色、表装の形態が全く別物で、誰の目にもその違いは明らかでした。

そもそも、宗門で日寛上人の御形木御本尊が下附されていたのは半世紀も前のことなのに、顕正会で会員に出していた本尊は、最近印刷されたもののように真っ白で真新しいのです。これでは、印刷屋だった浅井昭衛が精巧に複製した、としか思えません。
私たちは薄々、「顕正会の本尊はニセ物ではないか」と勘づいていましたが、いざ、その事実を突き付けられると、あまりの衝撃にしばらく声が出せないほどでした。

その一方、山内を見学させていただき、初めて目にした総本山の威容と、荘厳で清浄な空気に触れ、感激で胸がいっぱいになりました。また、本住坊で板東御尊師の御導師で勤行をさせていただきましたが、本堂に御安置された板御本尊様を初めて拝した私は、「ようやく本物に巡り合えた」と感極まり、号泣してしまいました。

板東御尊師からは、「これからが本物の信心です。本日の御本尊様とのご縁を忘れず、正しい信心を貫いてください」との温かいお言葉を頂戴し、私たち夫婦は、顕正会を脱会して正宗信徒となる決意をしたのです。

そして一週間後、晴れて大願寺の御宝前において夫婦共に御授戒をしていただき、さらに御法主日如上人猊下の御形木御本尊を御下附賜わりました。それからは、唯授一人の血脈相伝に基づく五座・三座の正しい勤行と唱題、教学の研鑽、折伏に精進しております。

法論から逃げた浅井昭衛
浅井のたばか謀りと迷える会員

正宗信徒となって痛感するのは、『日興遺誡置文』に
「当門流に於ては御抄を心肝に染め極理を師伝して」(御書一八八四頁)
と仰せの通り、正しい血脈による師伝によってのみ、大聖人様の仏法は心肝に染まっていくのだ、ということです。

顕正会には、『御書』がありません。したがって、会員が知っている大聖人様の御金言といえば、会長浅井昭衛が取りあげた御文だけ、ということになります。

宗門から離反して半世紀も経つのに、肝心の『御書』を作らないのは、浅井が大聖人様の御金言を専横したいのか、宗祖を崇めるというのは上辺だけで実際は軽んじているのか、不都合な御文を会員の目に触れさせないためなのか、あるいは『御書』発刊の能力を持ち合わせていないのか……。とにかく浅井顕正会は、その名の通り、我流の〝浅い教学〟のまがい物であることは明白です。

しかし、謗法の「悪酒」に酔っている顕正会員を正信に目覚めさせることは、容易ではありません。彼らと法論しても、本質的なテーマから逃げ、不利になれば話を逸し、最後は開き直ります。でも、その時に破折した一言は、必ず相手の命の奥底に残るはず。現に、これまでも顕正会から姿を消していった幹部や活動家は大勢います。

一方で、私の体験を振り返ると、「顕正会は間違っているかもしれない」との動執生疑が起きても、素直に日蓮正宗に帰依できない、その壁は「国立戒壇」の問題でした。なぜなら、「戒壇義」に関する浅井のマインドコントロールは強烈で、国立戒壇の邪義が自らの心中に根深く残っているのです。

最近、『顕正新聞』では盛んに、御隠尊日顕上人が著述された『近現代における戒壇問題の経緯と真義』を誹謗していますが、心静かに本書を熟読すれば、浅井や池田大作らによる当時の狂騒が、いかに浅はかで不毛だったかが分かります。
それゆえに、顕正会ではこの矛先を躱(かわ)そうとして、浅井がかつて日顕上人に法論を申し込んだとうそぶく駄文、『最後に申すべき事』を全面に押し出して、会員の目くらましに必死のようです。

ちなみに、顕正会員は、『最後に申すべき事』が宗門から徹底的に砕破(さいは)されて浅井が返答不能に陥ったことや、かつて浅井が妙観講講頭の大草一男氏との法論から逃げた、という事実を知りません。
いずれにしても、浅井が教義の正邪を判ずる法論から遁走したくらいですから、会員達は、宗門や法華講員に対して些末な揚げ足取りに終始し、一方的な自説を吐くことしかできません。

そのような顕正会員を一人でも救うことが、私自身がこれまで犯した謗法の罪障消滅になる、と決意し、ツイッターおよびブログ上で「破顕の又三郎Z」の名前で折伏を行なっております。すでに、ブログ開設から約半年で総訪問者数は約七千名に達しており、このことからも、かつての私のような、迷える顕正会員が数多く潜在することを確信しています。

なお、これまでに、妻に続いて長男と次男が御授戒を受け、また顕正会時代の後輩が続々と正宗に帰依してきております。
こうした中、顕正会時代は喧嘩の絶えない我が家でしたが、日蓮正宗に入信してからは、妻と願っていた、温かくて慈愛溢れる〝一家和楽〟の環境に変わることができました。この大きな功徳には、報恩感謝の気持ちでいっぱいです。今、こうして唯授一人血脈付法の御法主日如上人猊下の御指南、指導教師・坂東御住職の御指導のもと、真の広宣流布の御奉公に身を置くことができる福徳に、無上の喜びを感じています。

大聖人様は『種々御振舞御書』で
「わたうども二陣三陣つづきて、迦葉・阿難にも勝ぐれ、天台・伝教にもこへよかし」(御書1057頁)
と仰せられていますが、大願寺法華講の皆さんと異体同心して、広宣流布の御奉公を全うさせていただく決意です。そして、「悪師」に騙され、いまだ正法にたどり着けぬ、迷える顕正会員や創価学会員らを救っていくことをお誓いいたします。