元顕正会員の体験談

誰も幸せになれなかった顕正会時代 法華講で本当の功徳に欲する日々

田戸 穀(神奈川県在住)

折伏した友人と共に

右翼思想に傾倒した青年期

浅井の時代錯誤な言動に共鳴

私は横浜市に生まれ育ち、小学生の頃はそれなりに勉強もできるほうだったのですが、中学生の頃から悪い友達と付き合うようになり、暴走族にも入ったことから右翼的な考え方が強くなりました。

さらに、高校卒業後に就職した建設会社の下請け会社が全員学会員だったことから、しつこく誘われて、義理のような形で創価学会に入会し、御本尊も受けました(当時は学会もまだ日蓮正宗の信徒団体)が、信仰心がなく御返却してしまいました。

その後、転職した不動産会社の会長の影響で、ますます右翼的な思想に傾倒していきました。そこで私は営業の仕事をバリバリやっていて、神経を使うことも多かったために、だんだんアルコールにのめり込み、ついにはうつ病とアルコール依存症になってしまいました。

そうした時に、顕正会員から勧誘を受けたのです。当時の私は実家に一人で住んでいたのですが、その我が家に、顕正会の女子部の人が何度も訪問してきて、本を渡されたりビデオを見せられたりしました。

その頃は創価学会とも縁を切っており、もう宗教は嫌だと思って顕正会の誘いもずっと断わり続けていたのですが、ちょっと気が向いて会長・浅井昭衛の講演集を読んでみたところ、浅井の軍国主義的な言動が、自分の右翼的な考え方にピッタリきてしまいました。そして、私は顕正会に入ってしまったのです。平成二十四年頃のことでした。

顕正会で勧誘活動に奔走したが

かえって不幸は増していった!

それからの私は、どんどん顕正会の活動にのめり込んでいきました。

私と同じアルコール依存症に悩む仲間を救いたい、と思い、顕正会の先輩と一緒に、アルコール依存症の人が通う専門外来のデイケアの人を訪ねては次々と勧誘し、またそれ以外の友人・知人にも声をかけて、二十人を顕正会に入会させてしまいました。

こうして私の紹介による入会者が増えたことで、班長だった先輩は隊長となり、「御遺命守護の戦い」と称する勧誘活動にもさらに力が入っていきました。

しかし、いくら顕正会の活動をしても、功徳はありませんでした。それどころか、救うために入会させたはずの人達は、よけい不幸になっていくのです。

その中の一人、高山さんは、入会後も病が進んで、人工透析を受けることになったのですが、数回目の人工透析の日に突然倒れ、そのまま亡くなってしまいました。

また、青木さんという方は、定職にも就(つ)けず、派遣の仕事もなくなり、家庭内暴力も激化し、もともとの精神病も悪化して、ついには一人でいる時に心不全を起こして亡くなってしまいました。

私自身も、顕正会に入ってから、足の感覚に違和感を覚え、やがて歩行に障害が出てきたのですが、いくら検査しても原因も病名も判らずで苦しんでいました。さらにはうつ病も日々に悪化していきました。

顕正会では、そうしたことを先輩に相談しても、煙たがられ、「信心が足りない」の一言で片付けられてしまいました。

そうした中、私は、月に一度の「総幹部会」のビデオ上映を見るたびに、「顕正会では、〝大御本尊様を国立戒壇に奉安する。それが大聖人様の御遺命だ〟と言うけれど、このまま顕正会にいたら、大石寺に参詣できず、大御本尊様に御目通りすることはできないのではないか」と考えるようになっていきました。

法華講員との出会いで開けた道

顕正会とは大違いの信心の喜び

私が顕正会に入ってから八年の月日が流れた、令和二年二月―私は、新横浜にある顕正会神奈川会館へ、ビデオ上映会に参加するために向かっていました。すると、そこへ一人の女性が声を掛けてきました。顕正会員を折伏するために会館の近くに来ていた、法華講員の佐竹円さんでした。

私は、その時は相手が法華講員とは思わず、急いでいたので電話番号とラインを交換して、翌週の日曜に新横浜駅の喫茶店で待ち合わせの約束をし、その場を離れました。

約束の日、私は、佐竹さんを顕正会に誘うつもりで喫茶店に向かいました。会ってみて法華講員とわかり、戸惑いながらも話をしていると、なんと、佐竹さんは、「明日、大石寺に参詣する」と言うではありませんか。

顕正会では大石寺に参詣できず、ましてや大御本尊様にはお会いできないと覚悟していましたので、うらやましく思いました。

話をする中で、顕正会の主張する「国立戒壇」が誤っていることや、正本堂の意義に関する捉え違い、『三大秘法抄』『一期弘法付嘱書』の正しい拝し方など、いろいろと説明を受けるうちに、私の中で今までに積もっていた、顕正会に対する疑念がだんだんとはっきりしてきました。

それでもなお、迷う気持ちは理由もなく湧き上がってきましたが、私は、その迷いを打ち消し、翌日、一緒に大石寺に連れて行ってもらうことにしました。

初めて訪れた総本山大石寺は、荘厳で、敷地も広く、ただただ感激するのみでした。

総本山では、『慧妙』紙に掲載された〝国立戒壇論の誤り〟についてを読み、「ああ、やっぱり」と、自分の今までの疑念が完全に溶けました。さらに、すでに顕正会を脱会して法華講で活躍していた堀井さんからも、いろいろと話を聞くことができ、ようやく踏ん切りがついて、見学のつもりで行った大石寺で、その日のうちに理境坊にて御授戒を受けることができました。

理境坊で御本尊様の御前で勤行すると、胸に躍動感が溢れてきて、顕正会ではまったく感じたことのない歓喜が湧いてきたことを、今でもはっきりと覚えています。

功徳の顕現にも正信たるを確信

多くの友人が顕正会から法華講へ

その後、私が法華講に入ったことを知った顕正会の幹部が、次々と自宅に訪問して来ました。顕正会の友人を一人、脱会させてからは、さらにあの手この手で押しかけて来ましたが、はっきりと脱会宣言したところ、有り難くも顕正会から〝除名処分〟となりました。

その後は、私の縁で顕正会に入会させてしまった人達に声をかけて、「顕正会は間違っていて、日蓮大聖人の正しい教えは大石寺にある」と伝えてきたところ、現在までに合計九人の方が、顕正会を辞めて御授戒を受けることができました。

時には、「あれだけ顕正会で勧誘活動をしてきたのに、今になって宗門なのか」と嫌味を言われることもありますが、今は、顕正会の邪義による呪縛から解き放たれて、本当に新鮮な毎日を過ごしています。

また、法華講で信心するようになってから、私の苦しんできた体調不良と歩行障害の原因が判明しました。難病指定のパーキンソン病と診断されたのです。原因がはっきりしたことによって、適切な治療を受けることができるようになりました。また、うつ病も回復し、生活面も安定してきました。

こうした現証を通じても、今、私は、「やはり正しい教え、正しい信心は、大石寺にあった!」と、顕正会員に向けて声を大にして言いたいです。

これからも、多くの仲間を帰伏させ、初信の心を忘れずに日々を過ごしていきたいと思います。