人生を破滅させる顕正会の活動
非常識なノルマで経済的にも逼迫
私は平成十三年から十五年間、顕正会員として活動しておりました。
顕正会での役職は班長で、常に浅井会長の言うことが一番正しいと思い、何の疑問も持つことなく一生懸命に勧誘活動をしていました。
そうした中、息子が三才の頃、保育園で鬼ごっこをしていて、部屋中駆け回っていたところ、窓ガラスに激突し、右手首を切ってしまったことがありました。切ったのは動脈すれすれの箇所で、十二針も縫う大ケガだったのです。
今にして思えば、負わなくてもいいようなところでそのような大ケガを負ったのですが、その当時は、「保育園の先生達の早い処置と対応のおかげで、大事に至らずに済んだ。これも顕正会を信じていたから守られたのだ」と本気で思っていました。そして、それを功徳だと思い込んだ私は、ますます顕正会の活動にのめり込んでしまったのです。
しかし、邪教にのめり込んで、人生がうまくいくはずがありません。
浅井会長が「大聖人様の仰せのままの信心をすることが大切です。大聖人様はすべてご照覧です」と言うと、私は「活動に行かなくては!」との衝動に駆られ、仕事から帰った後、駅頭で遅い時間まで道行く人々に勧誘活動をしていました。
そんな日々を続けていたのですから、顕正会に入っていなかった主人から良く思われるはずがありません。やがて、夜出かけることで怒られたり、家から閉め出されたりするようになりました。
しかし、顕正会が最高の正義だと信じて疑わなかった私は、「正義を貫いて何が悪い。理解しない主人の方が悪いのだ」と思い、家庭を顧みませんでした。
ホームレスの人に声を掛けて顕正会に入れた時は、その人を漫画喫茶に泊めてあげたり、私の車の中に泊めてあげたりしました。それが主人に見つかって、主人は激怒してきましたが、私は「功徳を積んでいるんだから、これでいいのだ。もっと御奉公しなくては!」と自分に言い聞かせ、家庭が崩壊していっているにも拘(かか)わらず、まるで平気でした。
また、顕正会員に課せられる『顕正新聞』の購読部数や、「広布御供養」と称する寄付の時は、上長の幹部から、私の経済状況とは関係なく「昨年度を上回らなければいけない」と言われました。
顕正会では、以前に一度寄付をした班員や亡くなった班員の分までも数に入れた上で、前より増やすことを重視していました。そうすると、消えていった人の分まで班長に課せられることになり、私はそのために他の人の分までお金を負担し、経済的にいつも逼迫(ひっぱく)した状態でした。
また、職場でも誰彼かまわず勧誘していましたので、周りから快く思われず、仕事上で何か問題があると厳しく当たられて、イジメのような仕打ちをされていました。そのうちに、だんだんと毎日が憂うつになっていきました。
そして、やがて、わずかなことでも落ち込むようになり、それが積もり重なって精神的にも追い込まれていき、とうとう「死にたい…」と思うようになってしまいました。もう、身も心もボロボロの状態だったのです。
「顕正会の本尊はニセモノだ!」
衝撃受けた法華講員からの指摘
そのような時、顕正会で一緒に活動していた伊東寿子さんや柴崎亜弥さんが、日蓮正宗に帰伏して法華講員になり、私を折伏してくれたのです。
伊藤さんや法華講の方達は、私に、顕正会が日蓮正宗から破門された経緯や、顕正会の教義が間違っていることを丁寧に話してくださいました。そこで私は初めて、顕正会の本尊がニセモノであることを知りました。
あまりのショックで、しばらくは何も手がつかない状態が続きましたが、よくよく考えてみれば、顕正会のニセ本尊を拝んだために身も心もボロボロになってしまったのだ、と気付き、意を決して、平成二十八年の五月、日蓮正宗の寺院で御授戒を受けることができました。
その日から正しい御本尊様のもと、正しい勤行を実践したところ、顕正会では味わったことのない感激や生命力が湧き上がってきました。
やはり間違っているのは顕正会だと確信した私は、「顕正会の本尊はニセモノ」という衝撃的事実を、まだ顕正会にいるMさんにも話したいと思い、ファミレスで待ち合わせをしました。
ところが、ファミレスでMさんに会って話を始めたところ、すぐに顕正会の幹部達が店に入ってきて、私達の座っているテーブル席に割り込んで、話の邪魔をしてきたのです。
彼らはMさんを混乱させるのが目的だったのでしょう、恐れをなしたMさんは、結局、顕正会をやめることができませんでした。
それにしても、衆人の目も気にせず傍若無人に振る舞う顕正会幹部らの姿を見て、あらためて顕正会の異常性を感じ、かつては自分もその中の一人であったことを恐ろしく思わずにはいられませんでした。
顕正会では考えられない功徳の顕現
念願の家もベストタイミングで購入
私に続いて御授戒を受けた息子と二人で、勤行・折伏・会合参加・御登山・御供養と、新鮮な気持ちで仏道修行に励む中、精神的にも落ち着き、全てが順調に動き出しました。
しかし、それまで邪教顕正会で刻み付けてしまった罪障は、そう簡単に消えるものではありませんでした。私の意思とは裏腹に、ついに主人と離婚することになってしまったのです。
顕正会時代に家庭をかえりみず無理な活動していたことにより、長年くすぶり続けていた問題で、もはや修復は不可能だったのです。本当に自らの罪障の深さを思い知らされるできごとでした。
その後は、息子と二人で生活をすることになりましたが、やはり経済的に厳しくなってきました。しかし、講中の先輩方からは、たくさんの講員さん方が経済的な問題や健康上の問題を信仰によって解決することができた、という体験を教えていただき、私も、まずは過去に顕正会で作ってしまった罪障を御本尊様に懺悔し、しっかり唱題して折伏をしていこう、と決意することができました。
そして、家族や親戚を折伏して回りました。私の状況を知る身内からは、冷たい態度で追い帰されるケースが多かったのですが、私はなぜか、どんどん生命力が溢れてきました。
これも顕正会では体験したことのない境地でした。顕正会の時は、反対されれば、「自分は正しいことをしているのだ」と自分に言い聞かせるのがやっとで、それでもうつうつとした気持ちを抑えることができなかったのです。
さらに、功徳としか思えないことが起こってきました。
まず、職場の状況が改善されてきたのです。私は、医療器具を作る会社にパート社員として十年くらい勤務しているのですが、意地悪な工程管理者のせいで作業場はいつもギスギスしていました。ところが、その工程管理者が上司と折り合いが悪くなって異動し、後任者は前任者とは真逆で、話しやすく、わからないことも何でも教えてくれたり、失敗しても「気持ちを切り替えていきましょう」と励ましてくれたりと、職場の雰囲気がとても良くなったのです。
また、時期でもないのにいきなり時給がアップし、経済的に本当に助かりました。
さらに息子も、高校を卒業して、現在、私の職場と近いところに勤務しており、それなりに仕事ぶりも認めてもらっているようです。
そして、息子と共に仏道修行に励んでくる中で、離婚後の一番の問題であった経済的な問題も解決することができました。本当に御本尊様の功徳だと実感いたします。
また私は、いつしか、自分も座談会を開けるような家を購入したい、と思うようになりました。
活動の合間に、これはと思う建売物件を見学しに行ってみたところ、一階が六畳と十九畳のリビング、二階は八畳と六畳が二間という、まさに理想どおりの物件が出てきました。
営業の方から「分譲住宅の敷地の最後の棟なので、今月中に決めれば、カーテンレールやオーダーカーテン、照明器具、エアコン四台など、おまけの部分だけで二百万円相当をサービスで付けます!」と言ってもらい、さらに今の内なら、国からの住まい給付金五十万円、グリーン住宅ポイント三十万円がもらえて、新築の場合の軽減控除もあるということで、なんと、今なら、一カ月の返済金がアパートで暮らしていた家賃とほとんど変わらずに購入できる、ということが判明し、息子と相談して購入することを決めました。
願っていた物件が手に入り、これで我が家も会合や折伏にもどんどん使っていけると、とても嬉しく有り難い思いでいっぱいです。
法華講に入ってから、あっという間に五年が経過しました。顕正会にいた時は、経済的にも精神的にも、常に追い詰められて苦しい思いばかりでしたが、日蓮正宗に入信して正しい信仰を進めるなかで、経済的な問題や精神的な問題を一つひとつ変えてくることができたのです。
日蓮正宗に入信していなければ、このような歓喜を味わう事はできなかったでしょう。本当に有難いかぎりです。
これからも真面目に仏道修行を貫き、先輩や同志の方々と共に、周囲の未入信の人や、顕正会員を救うために、しっかりと折伏をしていきたいと思います。