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資料集

「妙観講による電話盗聴事件」なるものの真相

七月二十日、東京地方裁判所は、理境坊所属妙観講と大草講頭が顕正会・浅井昭衛を訴えていた裁判で、浅井の違法行為を認定し、計六十六万円の損害賠償命令を下した。

それに対して、八月五日付『顕正新聞』には、「大草一党に再び司法の鉄槌くだる! 」などという大見出しを付けて、事実をねじ曲げたミスリード報道を展開したのである。

呆れたことに、顕正会・浅井昭衛に損害賠償命令が下ったという、自分達にとって都合の悪い事実はひた隠しにして、一言たりとも触れていない。

また、そもそも妙観講による電話盗聴などという与太話は、関連する七件の裁判が十八年間にわたって司法の場で争われたが、その全てにおいて、「日顯上人、小川御尊師はもとより、大草講頭が盗聴に関与したという事実は認められない」として、決着を見たのである。

その事実無根のデマを浅井が引用し、日顯上人と妙観講を誹謗したのであるから、顕正会側の敗訴は、当然至極の結果である。

また、顕正会が喧伝する妙観講による電話盗聴などという与太話については、妙観講の歴史を綴った書籍『源遠流長』に、三十年前の事象として、この与太話が作り出された背景と当時の状況が詳細に述べられている。

以下に該当部分を引用する。

創価学会が政権を手中にするのを阻止すべく、「創価学会による被害者の会」や「民主政治を考える会」の活動が活発化している時、謗法者達の側も、何としても邪魔者を排除しようと躍起になっていた。その矛先は当然のごとく妙観講へと向かったが、それに大いに利用されたのが、妙観講を除名された元幹部Wだった。

日蓮大聖人は、
「大魔のつきたる者どもは、一人を教訓し堕としつれば、それを引っ懸けにして多くのひとを攻め落とすなり。日蓮が弟子に少輔房と申し、能登房といゐ、名越の尼なんど申せし物どもは、欲ふかく、心臆病に、愚癡にして而も智者となのりし奴原なりしかば、事の起こりし時、便りを得て多くの人をおとせしなり」(御書一一二三㌻)

と仰せられ、魔の用きは、影響力の大きい弟子や檀那の心に入り込んで、まずその者の信心を堕とし、さらに、その一人を引っ掛けにして大勢の信心を破ろうとする、と明かされているが、まさに、創価学会との最大の法戦の真っ只中、妙観講の活動を押し止どめようとする大魔は、元幹部Wの心中に入っていたのである。

Wは、大草講頭と妙観講に対する怨念から学会本部職員と通じ、すでに、学会本部に出入りしたり、飲酒の接待を受けるまでのつながりになっていた。そのWが、今度は、「妙観講は電話盗聴まで行なっていた」等という話をデッチ上げ、学会幹部らに喧伝したのである。

これにより、平成八年年初から、怪文書『地涌』『勝ち鬨』によって、妙観講が宗内寺院を盗聴している、などという与太話が大々的に流された上、さらには、全国の正宗寺院に、出所不明の盗聴テープとそれを書き起こした文書なる物が送り付けられた。

Wは、この出所不明のテープと文書を「妙観講が盗聴していた証拠である」とした上で、「自分は妙観講在籍当時、調査会社を使って盗聴工作を行なった。

盗聴した先は、元創価学会員であるU(※Wが懇意にしていた宗教ゴロ)とH(※同じくWが懇意になった学会本部職員-当時-)宅、宗門の秋元渉外部長と八木主任理事である。

自分に盗聴を指示したのは、大草講頭・小川只道御尊師・日顕上人である」などという、噴飯もののストーリーを作出したのである。

そして、Wと組んだ学会側は、『地涌』『勝ち鬨』に加え、機関紙『創価新報』まで使って、派手に〝妙観講による盗聴疑惑〟を書き立てるに至った。

この学会の動きを見て、「今度こそ大草講頭を倒せる」と思ったのだろう、ほくそ笑んだWは、他寺院の信徒と電話で話す中、得意になって口を滑らせ、

「大草に盗聴の罪をかぶせて妙観講をつぶし、妙観講の財産を手に入れる」「無実の者に罪をかぶせることくらい、何でもないことだ」

等と嘯いたのである(※この会話は、たまたま相手側の信徒によって全て録音されており、後の裁判で妙観講側から重要証拠として提出されることになる)。

こうして、捏造報道は一年半にわたって繰り返されたが、それでも妙観講・大草講頭が微動だにしない状況を見て、次なる一手として、平成九年六月二十日、宗教ゴロのUが自宅を盗聴されたとして、妙観講や理境坊・日蓮正宗などを相手取って東京地裁に訴訟を起こした(これを「U事件」という)。

興味深いのは、この当時、学会に籍などないはずのUが、「創価学会主任」の名刺を使ったり、にわかに金回りが良くなったことである。

またUは、この訴訟を起こした直後の七月二十二日に病没しているが、死後まもなく、Uのアパートには手袋をした男達が窓を割って入り込み、何かの証拠や痕跡を隠蔽(いんぺい)するかのように、Uの荷物や書類を全て持ち去ってしまったのである(またUの死後、この訴訟は息子によって引き継がれ、六年間にわたって争われることになるが、その息子は一度として裁判に登場することなく、弁護団だけで裁判が進められるという異様な展開となった)。

さらに、このU事件の経過を見計らったかのように、平成十一年になって学会職員のHも、自宅を盗聴されたとして提訴に及んだ(これを「H事件」という)。

だがHは、裁判所の廊下で大草講頭を見つけた際、背後から「この裁判は十年間やってやる!」などの言葉を投げかけ、この訴訟の目的が、妙観講と大草講頭にダメージを与えるためのハラスメント攻撃であることを、計らずも露呈してしまったのであった。

こうして二件の謀略訴訟の審理が始まったが、学会ではこれをフルに活用して、『聖教新聞』『創価新報』『第三文明』等に〝妙観講が電話盗聴をしていた〟などとする記事を大々的に報道し、日蓮正宗内で妙観講を孤立させようと謀った。

また、これらの裁判に、U・H側は大弁護団を組んで臨んだが、片や、妙観講側の弁護士は当初は一名、途中から二名という、多勢に無勢の闘いを強いられた。そして、この六年にわたる裁判によって妙観講は、労力の面でも、財政的な面でも、かなりの負担を余儀なくされた。

だが、それでもこの法廷闘争に敗れるわけにはいかなかった。もし敗れれば、学会との闘いに多大な悪影響が出るからである。

そもそも、あったことを立証するのは比較的簡単であるが、なかったことを証明するのは極めて難しい。

このような法廷闘争に勝利することは、かなり険難ではあったが、裁判が進むなかで、Wが〝御住職や講頭と頻繁に打ち合わせて盗聴を行なった〟と供述した時期は、Wが自らの悪事によって講中から戒告処分を受けて役職解任となり、さらには活動停止処分、除名処分へと進んでいく最中の時期だったことが判明。

そのような完全に信用失墜している時期に、御住職や講頭との〝緊密な極秘の打ち合わせ〟など、あろうはずがない。

さらに極め付けとなったのは、先述の
「大草講頭に盗聴の罪をかぶせて妙観講をつぶし、妙観講の財産を手に入れる」
「無実の者を陥れることくらい、何でもないことだ」
などというW の発言を録音したテープの存在である。

このテープの存在を知らなかったWは、証人として出廷した際に、この発言について弁護士から問い質され、

「事実無根です」
「まごうことなき嘘です」
「真っ赤な嘘です」

などと白々しく述べたが、後からテープが提出されて、自らの虚言を衆目の前に晒してしまった。

さらに、いずれの裁判においても、妙観講や理境坊・日蓮正宗を提訴する根拠となっているのはWの供述だけであったが、審理が進む中、〝Wが大草講頭に強い敵愾心を懐いていたこと〟〝Wの供述が主要な部分で変遷していること〟〝日顕上人・小川御尊師・大草講頭に盗聴などする動機がないこと〟等が明らかとなっていき、Wの供述は全く信用するに値しないものと認定された(この二つの裁判の判決文では、Wの供述を「信用できない」「真実と認めるに足る証拠はない」等として切って捨てた表現が、なんと合計五十四箇処にも及んだ)。

かくして、六年間にわたるU・H事件は日蓮正宗・理境坊・妙観講の全面勝訴で決着したのである。また、大草講頭憎しのあまり、学会幹部と組んで、日顕上人が盗聴を命じたなどと供述したWは、この裁判が結審した後、とうとう日蓮正宗からも信徒除名となっている。

盗聴の濡れ衣を着せるという衝撃的な二件の謀略訴訟は、こうして幕を閉じた。(以上『源遠流長・第三章』より)