顕正会破折レポート

顕正会総部長兼・教学部員 川崎泰之クンの“大本営発表”の真相①

総本山塔中・理境坊所属妙観講 吉尾和美

『顕正新聞』三月五日号の五面に、〝顕正会男子部第十六総部長(兼教学委員)・川崎泰之クンが私・吉尾和美を電話で徹底糾弾した〟という記事が掲載されました。相も変わらず、顕正会側が優勢に話を進めたように印象付けた作文で、全く内容のない彼らの論調には辟易します。

川崎クンと私との話の内容が『顕正新聞』に載ったのは、これで三回目になりますが、今回の電話での話は五時間にも及び、その中で顕正会員の不解や浅識・我見等が如実になる場面が盛りだくさんでした。できれば会話の全てをご紹介したいところですが、紙面の関係もありますので、以下にごくごく一部を紹介します。

棒読み、かつ、意味不明な切り出し

冒頭、川崎クンから、「あなたは顕正会員宅で〝国立戒壇は御書にはない〟と言ったらしいですね」と聞かれたので、「はい」と答えました。
すると川崎クンは、不自然な棒読み状態で、
「国立戒壇を強く怨嫉する姿こそ、師敵対の姿なんですよ」
と言ってきました。

私は思わず
「あ~! 川崎さん、言わされてる? (上から)言わされてるね」
と言ってしまいました。が、川崎クンは、私の言葉を無視して、
「国立戒壇が御書にはないってことを、国立戒壇を捨てた理由が、そうでなかったら、あなたどうしますか? 妙観講を脱会しますか?」等と、意味不明の言葉を並べ立ててきました。

それに対して私は、「何を言ってるのか、意味不明ですよ」と言うしかなかったのですが、もしかしたら、こういうことが「吉尾を徹底糾弾した」ということなのでしょうか(笑)。

田中智学の「国立戒壇」について

川崎クンは、「〝国立戒壇は田中智学が言い出した〟と言い始めたのは誰か?」と、どうでもいい質問をしてきましたので、私はあくまでも、「国立戒壇」を主張し始めたのは田中智学であることを、次のように教えてあげました。

「田中智学が『本化妙宗式目』に〝宗旨三秘〟というのを説いていて、『第六科 戒壇の事理』の第二項に〝勅命国立事壇〟という語が出てくる。明治三十六年ですからね、まだ国体思想というものがあった時代で、この人、こういう主張をしてるわけですよ」
と。すると川崎クンから、

「でもそれ、〝国立戒壇〟とは言ってないです」
と呆れた返事が。私が重ねて「事壇とは事の戒壇だから、国立事壇というのは国立戒壇のことですよ」と説明してあげると、川崎クン、
「意味は、そうだけど…」「でも、国立戒壇とは言ってないです」
と苦しい苦しい言い逃がれをしました。

また、川崎クンは、総本山第六十五世日淳上人が「田中智学は日蓮正宗の教義を盗んだ」と仰せられていることをあげてきたので、私は、
「盗んだのだから、正しく理解できるわけがない。田中智学は自分勝手な解釈でウソッパチを書いてしまい、それを浅井サンが拾ったのだ」
と教えてあげました(笑)。

国立と言いながら「誰が建てるかが問題ではない」!?

川崎クンが「国立」「国立」と言い続けるので、「御遺命の戒壇は、どこが(誰が)建てるのか?」と聞いたところ、川崎クンは、
「一国の総意、つまり国民が、上は天皇から下は万民に至るまで信じ奉る時に建てる」
「誰が建てるという問題じゃない」
とのこと。

私は半ば呆れながら、「では、国立と言わなくてもよいではないか。どうして『国が立てる』という言葉を使うのか?」と聞きました。
すると、川崎クンが「国家意志の表明が…」と言うので、私は、
「では、国立美術館というのは、国家意志の表明で建てたの? 国民が一人残らず皆で美術館建てた~い! って言って建てた美術館なの?」
と大笑いしてあげました。

広宣流布についての日達上人のお言葉

川崎クンは、『顕正新聞』紙上で、「吉尾は未だに『日本の三分の一が入信すれば広宣流布』(中略)などと正本堂を擁護する陳腐な謀(たばか)りを用い」云々と言っていますが、川崎クンには、「顕正会の書籍で浅井が引用しているのは日達上人のお言葉ではない。勝手に省略したり、わざと文意を変えるような姑息なことはやらないよう、センセーに伝えるように」とだけ言っておきます。

それに、日達上人の
「日本国の全人口の三分の一以上の人が、本門事の戒壇の御本尊に純真な、しかも確実な信心をもって本門の題目、南無妙法蓮華経を異口同音に唱えたてまつることができたとき、そのときこそ日本国一国は広宣流布したと申し上げるべきことであると、思うのであります」
とのお言葉が、顕正会の手にかかると、「正本堂を擁護している」ということになるのだそうですが、いったい、どう読めばそうなるのか、さっぱりわかりません。

日淳上人と日達上人のお言葉の真意がわからず混乱した川崎クン

川崎クンは、日淳上人の
「正法による国教樹立こそ必要」
とのお言葉と、日達上人の
「けっして大聖人の仏法を日本の国教にするなどと仰せになられておりません。日本の国教でない仏法に、国立戒壇などということはありえない」
とのお言葉を挙げて、

「真逆のことを言われているではないか。どちらが正しいのか?」としつこく聞いてきました。このテーマは、過去に何度も話をしたのですが、しかし、不解(ふげ=邪教の害毒が深すぎて、仏法の道理が理解できない状態)となっている川崎クンは、本当に理解不能のようです。

とくに日達上人のお言葉については、私が「その前後もきちんと読んでください」と言うと、
「その前? 前はないよ」
と平然と言ってきました。顕正会では、都合よく切り文して会員に教えるので、会員らはその前後があることなど夢にも思っていないのです。
そこで、日達上人の本当の仰せが、次のとおりであることを教えてあげました。

「日蓮大聖人は世界の人々を救済するために『一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し』と仰せになっておられるのであって、けっして大聖人の仏法を日本の国教にするなどと仰せられてはおりません。
日本の国教でない仏法に『国立戒壇』などということはありえないし、そういう名称も不適当であったのであります。」

つまり、日達上人が仰せられている主旨は、「大聖人の仏法は世界に流布する宗教だから、日本だけの宗教とか、日本の国教という狭いものではない」ということです。

そして、日淳上人が仰せられている「正法による国教樹立こそ必要」というのは、「大聖人の仏法が国に流布して世法の根本にこの仏法があるという状態になった時、つまり正法が広宣流布した時に、国が安穏になる。だから、破邪顕正の折伏をして正法の広宣流布を目指すことが大事である」という主旨です。

そのことを川崎クンに教えてあげたのですが、川崎クンは
「全然、意味わからん。なんで? なんで?」
と言うばかりで、まったく理解できないようです。

続く
(『慧妙』令和3年4月16日号より転載)