浅井昭衛の危険【ポア】思想

顕正会法務部 菅原克仁君の「熱涙(ねつるい)こみ上げる」悪文を嗤(わら)う

いかに顕正会お抱え弁護士とはいえ悪辣が過ぎよう

『顕正新聞』(八月五日号)に、性懲(しょうこ)りもなく、菅原克仁君(法務部次長)が『慧妙』(以下本紙)記事に対する反論らしき文を載せている。

第六面の全てを使った菅原君の破折論文(?)、どれほどの力作かと思いきや、本紙(七月十六日号)で指摘した〝浅井昭衛の抱く危険思想〟に対し、何ら的確な反論ができず(そのことは後述)、それをごまかすためか、ひたすら妙観講・大草講頭に対する悪口(菅原君は本紙の記事を全て大草講頭が書いているものと思っているらしい)を並べており、それが、なんと紙面の85%を占めている。

不都合な事実から論点を逸らそう、という菅原君の狙いは見え見えなので、大草講頭に対する悪口への反論は別の機会に行なってもらい、ここでは、菅原君が本紙記事に反論できなかったことに焦点を当て、重ねて糾弾する。

浅井の危険思想と言い訳を本紙が指弾

まず、本紙七月十六日号では、「顕正会法務部次長・菅原克仁の愚迷(ぐめい)を叱る―これでも浅井に危険思想なしというか!」と題し、浅井昭衛が〝積極的な武力行使〟を肯定する危険思想の持ち主であることを論証した。

その中で、浅井の著書『立正安国論謹講』の内容に関し、菅原君が〝浅井センセーは、防衛以外の武器の所持を禁じる、と明確に指導している〟などと述べているのは全くのゴマカシであること、また、浅井が危険思想の持ち主である証拠として、浅井が昭和四十九年の六月から七月にかけ、日達上人に次のような脅迫状を送っていた事実を挙げた(以下、抜粋)。

「あえて違法を強行するとならば(中略)妙信講は非常手段をもってしても、断じて御遺命を護り奉る。」(六月二十二日付)

「男子精鋭二千の憤(いきどお)りは抑えがたく、仏法守護の刀杖(とうじょう)を帯(お)びるに至りました。もし妙信講一死を賭(と)して立つの時、流血の惨を見ること必至であります。この時、一国は震撼(しんかん)として始めて御本仏の御遺命を知り、宗務当局また始めて御遺命に背(そむ)くの恐ろしさ、正直の講中を欺(あざむ)くの深刻さをはだえに感じ」云々。(六月三十日付・傍点編集部)

「この上は、大事出来(しゅったい)して一国の耳目(じもく)驚動(きょうどう)の時、公廷において厳たる証拠と道理を示し、一国に正義を明かす(中略)その時、小輩等早く霊山(りょうぜん)に詣(もう)で、宗開両祖の御尊前にて、『聖人展』の違法・『正本堂の誑惑』さし切りて言上。」(七月四日付)

一読して明らかなごとく、浅井は、自分の教義解釈を押し通すために、「仏法守護」のためと称して、武装した男子部二千名で大石寺に押しかけ、流血の惨事を引き起こす、と息巻いたのである。

だが浅井は、卑怯にも、この不都合な事実を隠蔽すべく、後年、発行する『御遺命守護の戦い』において、右の脅迫状の傍点箇処の文章を消して改竄し、ゴマカシの言い逃れをしている。
よって本紙は、これらの点について、厳しく菅原君を糾弾したのである。

浅井の虚言(そらごと)をそのまま用いた菅原反論

それに対し今回、菅原君が反論らしき文を出してきた、というわけだが、それは以下のようなものである。その無慚無愧(むざんむき)ぶりを知ってもらうために、少々長くなるが該当箇所を引用する。

〈浅井先生が著された「立正安国論謹講」を切り文して誹謗するタバカリのタネが明かされてしまったことを受け、今回の「慧妙」ではそこから話を逸らし、浅井先生が細井日達(上人)に宛てた「書簡」(昭和四十七年六月三十日付け)に、「流血の惨を見ること必至」と記されたこと等に難癖をつけ、こともあろうに浅井先生のことを「危険思想の持ち主」などと悪罵(あくば)を繰り返しているが、戯言(たわごと)も大概(たいがい)にせよ。

浅井先生は、「御遺命守護の戦い」において、細井日達(上人)への「書簡」に「流血の惨を見ること必至」と記載された理由を、次のごとく明記されている。

「妙信講ある限り、断じて大聖人の御意に背く御遷座を許してはならない。私は自ら男子精鋭を率いて総本山に登り、一命を賭しても戒壇の大御本尊を御守護申し上げる決意であった。

妙信講の決意を察知した学会は、すでに各地の暴力団にも手を廻わし、本山周辺に配置する計画を進めていた。また本山内は学会の警備特殊部隊で埋められよう。その中で妙信講が大御本尊を守護せんとすれば、彼等はこれを排除せんとして物理的な衝突は避けがたい。ゆえに『流血の惨を見ること必至』と云ったのである」と。
浅井先生の大忠誠心には熱涙がこみ上げるばかりである。
大草ごとき寄生虫に、御本仏日蓮大聖人の大事の御遺命を守り奉らんとされる浅井先生の崇高なお心などわかろう筈もない〉

云々。

この悪辣な欺罔(ぎもう)に開いた口が塞がらない

何とも呆れたことに、菅原君は、自らのゴマカシが暴かれてしまったことには頬被(ほおかむ)りを決め込み、浅井が脅迫状を改竄して言い訳をした『御遺命守護の戦い』の虚言(そらごと)を、そのまま無批判に引用して本紙への反論(?)としているのである。

つまり、浅井の脅迫状の中では、自分達が武装して大石寺へ押しかけ、「流血の惨」を起こす、と述べていたにも拘わらず、後の著書では、この決定的文言(前の傍点箇処)を削って、学会によって配置された「各地の暴力団」と「特殊部隊」で埋められた大石寺へ行けば、自分達が「流血」させられることは必至だった、との解説を書き加え、いわば加害者が被害者に成りすますことを企(くわだ)て、菅原君は、それを知りながら、この浅井の虚言をそのまま引用して、読者を欺こうとしたのである。

念のため言っておくが、大御本尊の御遷座式の行なわれた当時、「学会は、すでに各地の暴力団にも手を廻わし、本山周辺に配置」などという事態はどこにもなかった。当時、学会の本部職員であった法華講員らも、「聞いたこともない話」と驚いている。要するに、全て浅井の作り話なのである。

そうでないというなら、「本山周辺に配置」されたという「各地の暴力団」の証言でも出してみたらどうか。菅原君が、こんな作り話を無批判に引用し、脅迫状の文意改竄にまで加担しながら、「戯言も大概にせよ」だとか、「浅井先生の大忠誠心には熱涙がこみ上げる」などと言うのを見ては、もはや、呆れて開いた口が塞(ふさ)がらない。

法を守るべき弁護士が、こんな悪辣(あくらつ)なことをしてよいと思っているのだろうか。

ともあれ、こうして菅原君がお粗末な反論を重ねれば重ねるほど、浅井の誤りがハッキリしてしまい、会員の中から脱会者が増え続けているという。皮肉な話ではないか。呵々。

なお最後に、菅原君が大草講頭に浴びせた悪口誹謗については、逐一の反論を「顕正会からの脱出」という顕正会破折サイトに載せる予定、ということなので、関心のある方はそちらを御覧いただきたい。

(『慧妙』令和2年9月1日号2面より)