資料集

「『慧妙』記事は名誉毀損に当たらず」私が当事者として目の当たりにした“事件”の全て

まず『慧妙』紙(令和五年三月一日号)に「顕正会職員による保険金詐欺未遂事件!」なる報道が載った発端から述べます。
令和四年十二月八日、さいたま労基から委託を受けた弁護士事務所から、一通の問い合わせが私の所に送付されてきたことが始まりでした。

問い合わせの内容は、令和四年九月二十六日、私が浅井昭衛宅玄関前で浅井会長(当時)にインタビューを行なった同時刻、同場所で、堀なる女性顕正会職員に私が暴行をはたらき怪我を負わせた。その治療費について、その女性が労災申請をしているので、この事件について事実関係を確認したい、との内容でした。

狐(きつね)につままれたような感覚に陥りました。なぜなら、私、そしてその場に同行した他の三名も、「あの場には女性などいなかった!」というのが共通した認識だったからです。そして、当日撮影した動画を何回見ても、そんな女性の姿は確認できませんでした。
これが、慧妙紙に「存在しない勤務中の事件をでっち上げ」た、との記事が載ることになった、大前提の理由だったのです。

驚きの展開「まさか、あの運転手が…」
暴行の事実など無かった、これだけの根拠

ところが、あの日、浅井を自宅まで送ってきた車の運転手が、実は堀という女性だったということを(訴訟を起こされる直前の時期に)大宮署の刑事より初めて聞かされ、私は驚きました。

こうして、女性などいなかった、という大前提が崩れてしまったわけですから、今回の訴訟において、当方弁護士が、「現場に被害者(堀)はいなかったことは明らか、との内容は誤りであることを認めた」というのは当然の対応です。

だからといって、「顕正会職員による保険金詐欺未遂事件!」との報道が名誉毀損だったと言えるのか、といえば否であると私は思います。

その理由をあげます。まず、男であれ女であれ、私はあの場にいた運転手に暴行などはたらいていない。怪我など負わせていない。これが何よりの理由です。

その根拠を挙げます。
堀は、勤務中に私から暴行を受け怪我を負ったとして、労災申請をしていたにも関わらず、私が「そんな女性は現場にいなかった」と、さいたま労基に回答したのを受けて、さいたま労基が堀に事実確認の質問を送ったところ、その質問にまったく回答せず、申請を取り下げてしまいました。

取り下げた理由として、後に顕正会菅原弁護士は、佐々木に賠償させる方針に切り替えたからだ、と述べていますが、私を訴えるからといって、それが労災申請を取り下げる理由にはなりません。

仮に私が何らかの暴行をはたらき、堀に対して賠償する義務を負うとしても、労災申請をしたからといって、この賠償義務がなくなるわけではないからです。こんなことを、よもや弁護士である菅原が知らないはずがありません。

また、私から暴行を受けて怪我をしたというなら、最初から私に対する賠償請求は考えていたはずであり、それを、私が暴行の事実を否定したから初めて賠償請求をすることを決めた、かのごとき菅原の弁明は不合理極まりないものです。

また百万歩譲って菅原の弁明が真実その通りだったとしても、そもそも労基からの質問に全く回答しない理由にはなりません(裁判においても、この点の指摘について顕正会は何の反論もできずにいました)。

結局、このような顕正会の数々の不合理な対応をみるにつけ、今回の労災申請は極めて怪しいものであったと考えざるを得ません。

なお、顕正会側は労災申請を取り下げつつ、私を暴行傷害で刑事告訴してきました。これにより、私は大宮署、そして浦和の検察庁からも事情聴取を受けることとなりました。

ところが、その結果は、暴行があったと証明するには不十分だったため、私は不起訴処分となったのです。

動画のどこにも「突進し怪我させた」場面などない
重要な主張を二転三転と変遷させた顕正会側

さらに決定的な証拠をあげます。菅原弁護士は「赤い布に突進する牛のように興奮した佐々木は堀本部幹事の身体を強く押し続けた」と述べています。

しかし、浅井宅に設置された防犯カメラに写っている動画を私も確認していますが、闘牛のように突進している私の姿など、どこにも写っていません。あるなら見せてほしいものです。

約五十秒の浅井へのインタビュー場面が撮影されていますが、どの部分が突進場面だというのでしょうか。何度見ても、堀に突進し、強く押し続け怪我を負わせるような暴行場面などありません。

また本年三月五日、民事訴訟の証人尋問の際も、堀は、自身が裁判所に提出した陳述書に誤りはない、訂正することもないと、はっきり述べました。その陳述書には
「左胸や左肩あたりを(佐々木の)左腕で押される暴行を受け、怪我をした」
「私の左腕のあたりをグイグイと押してきました」
「私は左胸や左肩あたりに痛みを感じました」
「特に左胸や左肩のあたりがズキズキと痛み、見ると赤く腫(は)れていました」
等々と述べられています。

しかし、証人尋問において堀は、「うっすら赤くなっていた」と述べるにとどまり、この点について「腫れていた、というのではありませんか」と慧妙の代理人弁護士に問われると「記憶にない」旨、述べ始めたのです。

そして顕正会・藤村弁護士もそれに援護射撃をするかのように、「腫れていたとは言っていない」などと、自身らが堀の記憶に基づいて作成したという陳述書と完全に異なることを、堂々と言い始めたのです。

私から暴行を受けてどのような怪我をしたのかは、本件で一番重要な部分であり、自身の記憶としても間違いないと、堀自身が認めていた陳述書の記載内容をあっさりと翻し、「記憶にない」としてしまった堀と藤村弁護士の対応には、呆れかえると同時に、やはり今回の労災申請は極めて怪しいものであるとの疑念をいっそう強くするものでした。

以上、そもそも今回の労災の申請及び取り下げの経過が極めて不合理で、顕正会もろくに説明、反論ができていないこと、被害者であるという堀の一番大事な部分の供述が二転三転していることからすれば、やはり今回の労災申請が正当なものであったのか、極めて強い疑念を抱かざるを得ません。

何にしても顕正会が、慧妙紙を貶め、信用を失墜せんと企む背景は、故・浅井昭衛会長が大草講頭との法論を遁走した時の失言「バカバカしいこと言うでない」を糊塗(こと)し、昭衛センセイの名誉を守りたいがため、なのでしょう。

(『慧妙』令和6年5月16日号より転載)