話の出処を「友人の僧侶」から「元僧侶」に変更!
厳然たる事実を否定できず、逃げに回る
早くも顕正会による日顯上人への誹謗が破綻した―。
顕正会では、五月度総幹部会に婦人部総班副長の浅沼某を登壇させ、「通りすがりの男性」から聞いたとする、御先師日顯上人の御臨終の相が「悪臨終であった」とのデタラメ極まる悪口誹謗を発表させ、これを『顕正新聞』(六月五日号)等に大々的に掲載、会を挙げて日顯上人を罵り、本宗を攻撃してきた。
いわく、「その相は、色黒く、恐ろしい形相で、部屋中に悪臭が漂(ただよ)っていた。本来、宗門では死化粧をしないものだが、あまりに色が黒かったので死化粧をするしかなかった。しかし、何度塗っても白くならず、最後は厚塗りして、何とか白くした」と。そして、浅沼某の所感として、「私はその話を聞いた瞬間、これまで宗門関係者がひた隠しにしてきた阿部日顕(上人)の悪臨終についての、生々しい証言を聞いた衝撃と、何度も厚塗りしても白くならないほど黒かった、その悪相に、身震いを禁じ得ませんでした。(中略)このたび、阿部日顕(上人)の悪臨終のさまが明らかになった不思議を感じては、これも浅井先生の大忠誠によって、いよいよ宗門に正義が蘇(よみがえ)る瑞相と思わずにはいられません」などとブチ上げたのである。
何も知らない愚かな顕正会員は、すっかり、これを真に受けてしまったようだが、この発表は何らの事実に基づかない、まるっきりのデマ宣伝であった。何をもってそう言えるか、というと
①浅沼が話を聞いたという「通りすがりの男性」とは、還俗(げんぞく)した元僧侶であるというが、その元僧侶も「友人の宗門僧侶から聞いた」話である、としており、さらには、この「元僧侶」も「友人の宗門僧侶」も氏名不詳であって、これでは根拠のない〝伝聞の又聞き〟にすぎない。ことに、話の出処であるとする「友人の宗門僧侶」の氏名を明かせないことは致命的で、法的にも証拠価値ゼロのデマ宣伝である。一言で言えば、「公衆便所の落書き」と同レベルの悪口である、ということだ。
②仮に「友人の宗門僧侶」の名前を挙げてきたとしても、その者から聞いたとする話は、全て事実に反する大嘘である。
何故ならば、日顯上人が御遷化(ごせんげ)あそばされた大石寺中町出張所には、御身内とごく限られた方々しかおられず、それ以外の一般の「宗門僧侶」は全く出入りしていない。しかるに、いなかった者を「いた」と言うなら、その嘘はすぐに発覚する。
また、日顯上人の御遺体は、その日のうちに中町出張所から大石寺内・蓮葉庵へと御遷(おうつ)しされたが、蓮葉庵においては、御納棺までの間、常に多数の御僧侶・寺族・有縁の信徒によって、絶えることなく読経・唱題がされており、そこで、浅沼の言うような「部屋中に漂う悪臭」だとか「何度も死化粧をした」だとかいう場面を経験した方は一人もいない。
③さらに、日顯上人の御霊棺は客殿へと遷され、そこでは五千人を超える僧俗が、色白で笑みを含ませられた上人の御尊顔を拝し、最後は一人が一葉ずつシキミを御棺にお入れして今生の御別れをしている。もし浅沼が言うごとき「厚塗りして何とか白くした」などという相であれば、その不自然さは多くの人々が気付くであろう。
④これらに加え、日顯上人の御臨終の直後から全てを御覧になっていた、御尊能化や御身内、葬儀社が、皆、御金言通りの、色白で、柔らかく、臭い一つない、日顯上人の素晴らしい妙相について語っておられ、それに反する「伝聞の又聞き」など入る余地すらない。
およそ、以上のような厳然たる事実に対し、故なきデマ宣伝をもって対抗することは不可能である。ことに①でも指摘したとおり、話の出処であるとする「友人の宗門僧侶」を出すこともできないのは致命的である。
こうした厳しい批判に耐えかねた顕正会では、ついに、デマ話の出処を変える、という荒業(あらわざ)を出してきた。
すなわち、「還俗した元宗門僧侶」が「友人の宗門僧侶」から聞いた、というストーリーの大綱を、「還俗した元宗門僧侶」が証言した、という流れにスリ替えてきたのである。
いわく、「証言した者は歴とした元宗門僧侶」「元宗門僧侶はそれ(※納棺前の相)が黒かったと証言している」(六月度総幹部会における男子部総部長・浅野恭浩の発表。『顕正新聞』七月五日号)と。
要するに、話の出処としてきた「友人の宗門僧侶」を出すことができない。そこで、顕正会に入ったという「還俗した元宗門僧侶」が見た、という話にスリ替え(※この男は、自らが見たのではなく「友人の宗門僧侶から聞いた」だけだったハズ)、いざとなったら、その元僧侶の名前を出して「全て、この男が言ったことであり、我々はそれを信じてしまっただけ」と言い逃れる魂胆なのだろう。
だが、このスリ替えを謀(はか)ったことで、話の出処が崩壊したことは明らかだ。ここに、顕正会が組織を挙げて大宣伝に及んだ、日顯上人に対する悪口誹謗は根元(ねもと)から破綻しているのである。
この上、「死化粧の証拠があったらどうする。責任を取って、僧侶(あるいは法華講)をやめるか」などと声高に喚(わめ)いてくるのは、彼奴等の得意なハッタリにすぎない。もし、そんなハッタリをかましてくる顕正会員がいたら、「話の出処だったはずの『友人の宗門僧侶』の名前を明かし、その者が、いつ、どこでそのような悪臨終の相を見たというのか、証明せよ。それができないなら顕正会を辞めろ!」と徹底的に責めるべきである。
我々は、御本仏日蓮大聖人からの血脈を継承される御法主上人と御先師上人方を仰ぎ奉り、非法の衆を断じて駆逐するのみだ。
『慧妙』令和5年7月16日号より転載