「なぜ、こんなに悪くなるの!?」
言葉を濁した顕正会幹部
私は、平成二十八年四月に、顕正会を脱会して日蓮正宗に入信いたしました。顕正会に入ったのは、平成二十年、三番目の子が生まれた直後のことでした。その当時は、同居していた義母との関係がうまくいかず、ウツ状態になっていたのですが、三人目(次男)を出産したあたりから、もはや絶えきれないほど精神的に追い詰められていました。
そのような時に、顕正会員だった伊東寿子さんに出会い、誘われるまま私も顕正会に入ってしまったのです。
ところが、顕正会で信心しても良くなるどころか、今度は主人との折り合いが悪くなり、さらに、幼稚園に通い出した頃から次男がヒステリーを起こすようになり、大変な思いをしました。
顕正会の幹部に、「なぜ、信心しているのにこんなに悪くなるのか」と聞くと、幹部からは「それはあなたの信心が弱いからだ」と言われ、それに反発すると、今度は「罰が出る」と言われ、そうした理不尽な対応に嫌気がさして、もう顕正会を辞めたいと思っていました。しかし、「日蓮大聖人様は正しいのだから」との思いから、なかなか辞められなかったのです。
そのような時、私を顕正会に入れた伊東寿子さん達が、顕正会を辞めて日蓮正宗に帰伏したということで、今度は法華講員として私を折伏してくれました。
伊東さん達は、大石寺にこそ正しい仏法があることを話してくれ、そして、私を間違った顕正会に誘ってしまったことを、心から謝ってくれました。その時の皆さんの表情や話し方がとても穏やかで、顕正会の時のとげとげしい感じとはまるで変わっていたので、私は心が晴れた思いで、日蓮正宗に入信することができたのです。
障害を持つ長女に差した光 手術の成功と安らぎの日々
じつは、第一子である長女は、生まれつき「レット症候群」という難病を抱えた、重度の心身障害児です。その長女は、食事を胃ろうから摂取している状態で、てんかん発作で無呼吸となることもあり、また年に数回、唾液の流れ込みなどで誤嚥(ごえん)性肺炎による入院を繰り返しておりました。
医師からは、誤嚥性肺炎を回避するために、気管と食道を分離する手術を勧められておりましたが、私は、娘の喉をザックリ切ることを決断する心の重荷に耐えられず、また、娘の友達が、喉に入れたカニューレという人工の管で動脈を傷つけ、大量出血して亡くなってしまったこともあり、ずっと断わっておりました。
そのような中、次第に長女のてんかん発作が頻繁になってきたのです。これも顕正会で積んでしまった罪障なのかと思い、娘の回復をひたすら御本尊様に祈っていきました。
すると、ある時、ふいに、「もしかしたら、娘は手術してほしいのかもしれない」という思いが湧き上がってきました。「この子は手術をして治したくても、自分で頼むことはできないのだ」と、初めてそう思えたのです。
なぜ、そんなふうに思ったのか、本当に不思議な体験でした。そして、これはきっと、御本尊様が最良の道を教えてくださったのだ、と思いました。
その後、主治医に手術をお願いし、考えうる最短の日程で手術を受けられることになりました。さらに、総本山より御秘符も頂戴して、娘は、御本尊様に守られる中、手術に臨むことができました。
そして手術は大成功し、気管と食道が分離したことで唾液の流れ込みがなくなり、そのおかげで、夜の痰の吸引回数が激減し、私も朝まで眠れるようになりました。それまでの私はいつも睡眠不足で、常に疲れていましたので、これは本当に有り難いことでした。
私自身も皆さんから「表情が明るくなったね」と言われるようになりましたが、娘もまた、かつてはずっと苦しそうな表情だったのが、だんだんと明るく穏やかな表情になってきて、とても元気になってきたのです。本当に御本尊様の功徳は有り難いと思います。
危機一髪、大事故から守られる
顕正会時代と今の歴然たる差
このように、法華講で喜んで信仰を続けてくる中、第二子である長男の学校で運動会がありました。その日の朝、私の運転で家を出発し、学校に向かって東名高速道路を走っていた時のことです。
道は空(す)いていて、快調に車を走らせていると、途中から、まるでデコボコ道を走っているような異音がしはじめました。最初は「ホイールカバーがずれたのかなぁ」と思いましたが、異音はますます大きくなっていきました。
「とにかく高速道路を降りよう」と思い、ちょうど横浜町田のインターが近づいていたので車線を変えました。そして、出口車線に入った所で限界を感じ、停車するためにブレーキをかけたところ、その瞬間にタイヤがバーストしたのです。
もし、バーストしたのが高速道路上であったなら、後続車両に追突されたりして、間違いなく大事故になっていたことでしょう。それが、間一髪のタイミングで出口車線に入っていたために、スムースに事故を回避することができたのです。
私は、胸を撫でおろすとともに、「これは当たり前ではない、御本尊様が守ってくださったんだ」と思い、本当に有り難さが込み上げてきました。
なお、その後、ロードサービスに連絡して来てもらい、三十分ほどでタイヤ交換を済ませて、そのまま学校に向かうことができました。
現在、私は、十八歳になった娘を筆頭に三人の子供たちといっしょに信仰をしておりますが、登山の時などは、中学生の二人の息子が、娘を連れている私を助けてくれます。
そうした中、次男のヒステリーもすっかり解消して、授業参観で担任の先生から「久智くん、急に変わりましたね」と言われたほどの変わりようです。
また、長女は手術後、誤嚥性肺炎からも解放され、ご飯を食べることができるようになるなど、落ち着いて日常生活を送ることができるようになりました なお、娘は、手術の際、気道を確保するために気管にプラスチックの太い管(カニューレ)を挿入したことで、「腕頭動脈」という、気管の近くにある太い動脈を傷つけ大出血する危険を常に抱えていました。ここから大出血を起こしたら、ほとんど助からない、と言われています。しかも娘は、背骨がS字に歪んでいるために、気管と腕頭動脈が普通よりも近くにあり、大変危険な状態でした。
最近はこの動脈を気管から分離する手術も始まっているようですが、リスクが高いことから、大学病院でもなかなか手術に応じてもらえませんでした。ところが、県のこども医療センターで術例があることを知り、相談したところ、信頼できるドクターに出会うことができ、手術の日取りが決まりました。
私は、御本尊様に「どうか娘をお助けください」と祈る日々でした。そして、今年の正月には娘を連れて総本山に参詣させていただき、戒壇の大御本尊様に祈っていくことができました。さらに、再び御秘符を頂戴することもできました。
また、手術当日までしっかり功徳を積ませていただこうと思い、伊東さんと共に折伏もしました。
そして手術当日、朝から待合室でずっとお題目を唱えていたところ、手術は無事に終わり、出てきた医師から、「最小限の傷で済み、後遺症も見られない」との説明を受けたのです。
術後の回復も順調そのもので、大変な手術だったにもかかわらず、わずか五日で退院することができ、地元病院の主治医も、この順調な展開に驚いていたほどでした。
入信前、顕正会にいたときは、あれほど苦しい毎日だったのに、日蓮正宗で本物の御本尊様のもと、正しい信心をするようになってからは、一つひとつの悩みが確実に解決していっていることを実感しており、本当に感謝の思いでいっぱいです。
まだ未入信の主人、入信を躊躇している友達のお母さんや、顕正会で活動する人達にも、早く気付いてもらい、多くの方に一緒に幸せになってほしいです。まだまだ至らない自分ですが、この御恩に報いていくためにも、日々、勤行唱題、そして折伏に励んでまいります。