罰(ばち)だらけだった顕正会の実態
私は、平成十年十一月、友人である芦口さんから誘われて、異流義の顕正会に入会してしまい、以来十八年間、活動を続けてきました。当時、宗教に無知だった私は、
「家で遥拝勤行するだけで必ず良いことが起こる。 仏法は生活法だから、病気・貧乏・家庭不和は必ず解決する。 福運を貯(た)め、宿命転換し、一生成仏が叶う。お金はかからないから、試しにやってみよう」
と言われ、反発することなく入会してしまったのです。
入会してまもなく、魔の通力によるものでしょう、人間関係の悩みが解決したり、一時的に経済面が良くなったりと、いわゆる”初信の功徳”らしき現証が起こりました。 これは凄(すご)いものかもしれないと勘違いした私は、手あたり次第、友人・知人を勧誘し、自分の家族、夫の家族も含めて、百人以上を入会させてしまいました。
平成十一年に浅井会長が唯授一人の血脈を否定した時も、会長が作り上げたストーリーを鵜呑(うの) みにし、「先生こそが御遺命を死守された、唯一正しき師匠だ」と信じて疑いませんでした。
平成二十三年三月十一日、東日本大震災が発生した際、私は地方公務員として被災現場に赴(おもむ)きました。そこで目にした光景は、今も目に焼き付いております。震災対応で仕事が多忙を極める中、被災者に接することもあり、共に涙したこともありました。
その一方で顕正会員は、「浅井先生のおっしゃるとおりになった!」と、この悲惨な大災害の発生を喜んでおり、私はその姿に違和感を覚えましたが、自分の信心が足りないのだ、と思うしかありませんでした。
そして、平成二十三年五月から五年間、私は、”女子部区長”という役職に就きました。当初は三百名規模の組織でしたが、区員たちの罰の現証は凄まじいものでした。中でも、身を粉にして勧誘に明け暮れる区員ほど、病苦・経済苦に陥っており、私は「罪障消滅していこう」とか「健気な信心をしていこう」と励ます以外にかける言葉がありませんでした。
私自身も、区長となった直後にストレスから関節リウマチを発症し、毎日痛み止めの座薬を使いながら活動していました。八戸会館の近くに引っ越して、『顕正新聞』の購読料や広布御供養の立替えも惜しまず、時間もお金も労力も顕正会の活動のために使ってきたのです。
顕正会の「ニセ本尊」に大衝撃
十八年間、一切疑うことなく顕正会を信じてきた私に、転機が訪れたのは、平成二十八年の年末のことでした。婦人部班長会に参加した母より、「副総合婦人部長の名字が、小峰から浅井に変わっていたんだけど、離婚したのかしら?」と聞かされたのです(副総合婦人部長は浅井昭衛の娘。夫の小峰は当時本部職員で長く『顕正新聞』の発行人を務めてきた人物)。
長年会長に仕えてきた娘婿(むすめむこ)と縁を切るとは、いったいどういうことなのかー初めて浅井会長を疑った瞬間でした。しかし、上長の幹部に聞くわけにもいかず、悶々とした日々を過ごしておりました。
年が明け、平成二十九年一月、「顕正会 小峰」でインターネット検索をしていたところ、元顕正会で法華講員のブログが目に留まりました。 食い入るように読み進めていくと、そこに「ニセ本尊の衝撃」という記事があり、
「日布上人の”大幅の御形木御本尊”も “御形木の導師曼荼羅”も、この世の中に存在するものではない」
ということが記されていました。そもそも本尊に本物とニセ物があるという概念がなかった私は大衝撃で手が震え、しばらく茫然としました。そして、これが本当なら、恐ろしくてもう会館には行けない、と思い、その日から、毎朝通っていた早朝勤行も夜の参詣もやめ、打ち合わせのみ参加するようになりました。
その後、思い切って、ブログ主の石井努さんに脱会相談のメールをしたところ、丁重なお返事をいただき、さらに電話でニセ本尊のことを詳しく伺って、私は、顕正会を脱会して日蓮正宗で御授戒を受ける事を決意しました。
御授戒まで十日間ほど時間がありましたので、その間に、母・夫・義母に日蓮正宗に入信するこを話すと、母は「由美子に魔が入った!」と思い込み、顕正会の婦人部を巻き込んでの騒動となりました。 しかし私は、母を救うためには、まずは私が正しい信心をしなければと、心が揺らぐことはありませんでした。
そして一月末、広島県から石井さんが来てくださり、 夫、義母と共に無事御授戒を受けることができました。その御授戒の後、私を顕正会に誘った芦口さんと御主人を、石井さんが折伏してくれました。 その内容は多岐に渡り、七時間が経過した夜中の二時三十分、
「顕正会の勤行は大聖人様に通じていない」
ということを理解した芦口さんの心が決まり、翌朝、御授戒を受ける事ができました。芦口さんはこの時、「道は決まった!」と思ったそうで、邪教から救い出せたことを本当に嬉しく思いました。
石井さんが帰路に着いた後、私たちの担当だった女子部長と会い、「日蓮正宗の人から『顕正会の本尊はニセ物だ』と言われた。 自分たちではわからないので、日蓮正宗の人と対論してほしい」とお願いしたところ、「本部へ持ち帰ってあとで返事をする」ということになりました。
その三日後、女子部総務から電話があり、「『宗門の人と会って話をしてほしい』と言うこと自体がおかしい」との理由で、私たちが顕正会から除名処分となったことを告げられました。なお、その時に女子部総務から「日蓮正宗に行くことは、みんなに言わないでね」と釘を刺されましたが、今思えば、脱会者が後を絶たない顕正会の本音の言葉だったのだと思います。
一方、母は、婦人部支区部長から「娘さんと縁を切りなさい」と言われたことで、かえって目が覚め、御授戒を受け、今では喜んで寺院に参詣しております。
大石寺の足元(あしもと)にも及ばぬ顕正会
顕正会の誤りはたくさんあって、ここでは述べきれませんが、顕正会儀礼室での葬儀も、正法を知ればありえないものであります。
平成二十八年二月、義父が亡くなった時、顕正会儀礼室で葬儀を行なってしまいました。この世に存在するはずのない ”形木導師曼荼羅”で送り、一年間、遺骨は自宅に置いたままでした。 その間、四十九日忌などの法要の大切さを指導されたことは一度もなく、顕正会典礼院に納骨しようとしていた、その二週間前に脱会できたことが、せめてもの救いでした。
妙相寺の御住職より義父の戒名をいただき、地元の正宗寺院に納骨し、三回忌法要も執(と)り行なっていただいて、義母は「お父さんをちゃんと供養できる」と安堵(あんど)して喜んでおります。戒名、塔婆の大事を聞くにつけ、顕正会は成仏を全く考えていない邪教であったと思うばかりです。
また、三年前に初めて大石寺に参詣した時の、ショックに近い感動は忘れられません。 清浄な空気と広大な敷地、建物の一つひとつが顕正会の会館より大きい。御僧侶方の立派なお振舞い。 そして何より、戒壇の大御本尊様まします奉安堂の堅牢(けんろう)さ。幾重にも扉があり、不審者が入り込む余地などなく、厳然と守護されている。顕正会で聞いていたことと真逆でした。
いま、私にとっては、戒壇の大御本尊様にお会いできることが無上の喜びです。ゆえに、 顕正会のニセ本尊は絶対に許せるものではありません。かつて顕正会員として浅井会長の妄言を信じ込み、日達上人、日顯上人を悪口してきた罪障は計り知れませんが、昨年の日顯上人御遷化(ごせんげ)に際し、懺悔(さんげ)の思いで御本葬に参列させていただきました。
いまだ浅井会長は、日顯上人の御遷化を、「大聖人様が追放してくださった」などと悪言を吐いておりますが、多くの者に僧宝を憎ませる行為には憤 (いきどお)りしかありません。
これまで、皆で力を合わせ、五十人以上の顕正会員を救い出すことができましたが、これからも心ある顕正会員に精いっぱい正義を伝え救っていきたいと思います。