邪推と妄想を繋ぎ合わせた誹謗記事
日有上人御教示など夢にも知らぬ顕正会
『顕正新聞』(八月五日号)の「世相閻魔帳」なるコラムに、「大草一党の悍(おぞ)ましい謗法与同」なる妄想記事が掲載された。
例によって、点と点を邪推・妄想で繋(つな)ぎ合わせた、妙観講に対する誹謗(ひぼう)記事である。まあ、妙観講の講頭・大草一男氏は彼らの「無二の師匠」たる浅井昭衛を言論で袋叩きにした仇敵だから、憎くてたまらない、という心情はよくわかる。
だが、こんなデタラメな記事を見過ごすことはできぬから、ここに鉄槌(てっつい)を下しておくことにしよう。
まず、同コラムの主な内容は、
①去る六月八日に理境坊で御授戒を受け、翌九日の妙観講総会に出席した、ネパール国立ルンビニ仏教大学の副学長が、後日、かねて学術交流協定を交わしている創価大学を訪問して「日本とネパールの友好交流を築いていきたい」と述べた。
②その一ヶ月前の五月四・五日、ルンビニ大学は、富士ブッディストカレッジという団体と共同・協力して、セミナーを開催している。そのセミナーとは、釈迦仏法を信仰している邪僧や学者を一堂に集め、全世界に、釈迦仏法を教育基盤に組み込むよう訴える、という謗法セミナーである。
③このセミナーを、ルンビニ大学と共同・協力して行なった富士ブッディストカレッジとは、妙観講のダミー団体であり、その証拠にセミナーには妙観講幹部の黄倉光治氏が出席している。富士ブッディストカレッジが、ルンビニ大学と共同・協力して、邪僧らを招き、釈迦像を祀(まつ)り、釈迦仏法の大事を訴えたことは否定できない事実である。
④黄倉氏はセミナーの席上、妙観講講頭・大草氏のメッセージとして、へたくそな英語で「伝教大師が日本全国に法華経を広めた結果、三三八年間、日本では一度も死刑が行なわれなかった。この歴史的な例は、仏教がかつて世界を変革する力を持っていたことを示している。私たちはこれらの前例を思い出し、仏教の教えを再発見する努力をしなければならない」などと述べた。このメッセージでは、日蓮大聖人の名前を隠し、釈尊の仏法が白法隠没したことにも触れず、釈迦仏法の再発見が重要などと主張しており、大謗法と化した創価学会と同じである。
⑤黄倉氏はネパールにおいて、すでに富士オーケーという日本語学校も経営しており、その在留資格、活動資金、税関係がどうなっているのか、疑問がある
等々というもの。
まったく、妙観講に対する怨嫉(おんしつ)の念慮の上に、へたくそな英語力と、邪推・妄想が加わって、本当に悍ましい誹謗記事ができあがった、としか言いようがない。
以下、その一々を破折する。
①については、妙観講総会の翌日、ルンビニ大学副学長は駐日ネパール大使からの要請で、創価大の訪問に同行した。これは大学間での表敬訪問である。これを邪宗参拝と同一視する感覚だから、第九世日有上人の
「物見遊山なんどには神社へ参らせん事禁ずべからず」(聖典一二一八頁)
との御指南など全く理解すらできず、克衛(浅井昭衛の長男)のように「日有上人はいろいろ間違いの多い猊下だ」などと言い出す者まで出るのだ。
②については、同セミナーはルンビニ大学が、世界各国の提携している仏教大学の代表を招き、特定の宗派に捉(とら)われないインターナショナル会議として開催したもので、黄倉氏はそこに招かれて出席したにすぎない。
背景のパネルに「共同・協力」という言葉があったのを奇貨(きか)として、富士ブッディストカレッジがルンビニ大学と共同・協力してセミナーを開催した、と繰り返し繰り返し強調した「世相閻魔帳」編集子は、まさに英語力ゼロ、それどころか、閻魔法皇に舌を抜かれて地獄に送られるだろう。
③は⑤と関連するが、黄倉氏は、十年前からネパール布教に取り組むにあたり、日本での生活基盤を引き払ってネパールに移住、現地での生業(なりわい)として日本語学校「富士オーケー」を経営している。
在留資格も、富士オーケーの活動資金も、税金も、全て黄倉氏がネパールの法律に則って行なっているものであり、閻魔に舌を抜かれる者どもが口を挟(はさ)む余地などない。
さらに黄倉氏は、この十年間の布教によって入信した人達に、本宗の基礎教学を教えてきており、昨今では、その勉強会の集まりを「富士ブッディストカレッジ」と呼称している。
そして、これまでも講頭の大草氏と共にルンビニ大学に赴(おもむ)いて、日蓮大聖人の仏法について説いてきた関係から、去る五月にルンビニ大学が各国の仏教大学の代表を招き、インターナショナル会議を行なった際に、富士ブッディストカレッジの代表として黄倉氏も招待されたのである。
それは大学関係者の集まりということであったが、そこで、何やら参加者が釈迦像を拝んだりした場面では、もちろん黄倉氏は、日有上人の
「一礼をも成し散供(さんぐ)をも参らする時は、謗法の人の勧請(かんじょう)に同ずるが故に謗法の人なり」(聖典一二一八頁)
との戒めを守って、合掌礼拝など一切していない。
これを、「ルンビニ大学と共同して富士ブッディストカレッジが、邪僧らを招き、釈迦像を祀った」ということにしてしまうのだから、やはり此奴等は舌を抜かれなければダメな輩(やから)である。また、この辺の書き方は、「大草氏が自らガネーシャを祀って拝んだ」などと絶対にありえぬことを書き散らした、これまでの顕正新聞のヤリ口と全く同じ、邪悪なデマ作りの手法である。
④については、此奴等の不正直と邪心が見事に露呈している。
大草氏は、日蓮大聖人の仏法を知らない各国の仏教大学関係者に対し、折伏の前段階の話として、
「今日では、仏教が衰退(すいたい)し、その教えが正しく理解されずに混沌としている。
現代に生きる人々は、現代の世の中をリードしていくことのできる仏教の真の教えを探し、学び、得ていくことが必要である」
というメッセージを送った。すなわち、釈尊の仏法がすでに廃(すた)れて力を失っているので、今こそ力ある真実の仏法を、探し、求めていかねばならない、と述べて、折伏に進む前段としたのである。
それを「釈迦仏法の再発見が重要だと述べた」などと読み替える「閻魔帳」編集子の邪心と不正直さには、呆れて物が言えない。
ともあれ、こうして折伏の一歩を踏み込んだ大草氏は、その一ヶ月後、ルンビニ大学の副学長を理境坊に招き、小川正豪御尊師と共に、「この日蓮大聖人の仏法こそが真実の力ある仏法であり、この仏法のみを信仰すべきこと」を説いて折伏した。結果、副学長は御授戒を受け、妙観講総会に出席したのであった。
こうした流れを邪推・妄想して、
「副学長が妙観講総会に出席したのは、謗法セミナーを共同・協力して開催してくれたことへの見返り、と言われても文句は言えまい」
などと結論付ける「閻魔帳」編集子は、やはり舌を抜かれなければ分からない輩といえよう。
舌と言えば、彼らの「無二の師匠」の浅井昭衛は、舌をベロベロ出しながら嘘をつくのが常だった(講演の動画を見よ)が、今ごろは一足先に舌を抜かれ、地獄の業火に身を焼かれているに違いない。師弟共に、嘘と謗法にまみれて地獄に堕ちるとは、じつに哀れな者共である。
このような邪悪な謗法者の妄言に欺(あざむ)かれることなく、いよいよ我らは果敢(かかん)に顕正会員を折伏してまいろうではないか。
(『慧妙』令和6年9月1日号より転載)